平成17年の東東京予選で、開成高校がベスト16まで勝ち進み、最後に敗れた国士館高校は優勝したので、ややもすると甲子園に出場できたのでは?と話題になったことから、この本が生まれたそうです。
読みたいなと思いつつ、時が過ぎ・・・最近読みました。
ヒデミネ節?と相まって、面白かったです。
P14
開成高校にはグラウンドがひとつしかない。他の部活との兼ね合いで、硬式野球部が練習できるのは週1回。それも3時間ほどの練習で、彼らはベスト16入りを果たしたのだ。
通常、野球部というものは「リーリーリー」やら「バッチバッチ」やら、わけのわからぬ奇声を張り上げて練習しているが、開成はいたって静かだった。坊主頭の生徒などおらず、円陣を組むこともない。それぞれが黙々とそれぞれの課題に取り組み、「自分自身に固有の能力を進歩させ」(初代校長高橋是清の教育理念)ているようで、さすがに名門校は違うなと感心しながら、練習を眺めていてふと気がついた。
下手なのである。
それも異常に。
ゴロが来ると、そのまま股の間を抜けていく。その後ろで球拾いをしている選手の股まで抜けていき、球は壁でようやく止まる。フライが上がると選手は球の軌道をじっと見つめて構え、球が十分に近づいてから、驚いたように慌ててジャンプして後逸したりする。目測を誤っているというより、球を避けているかのよう。全体的に及び腰。走る姿も逃げ腰で、中には足がもつれそうな生徒もいる。そもそも彼らはキャッチボールでもエラーするので、遠くで眺めている私も危なくて気を抜けないのである。
ー野球って危ないですね。
外野(レフト)を守る3年生にさりげなく声をかけると、彼がうなずいた。
「危ないですよ」
ーやっぱりそう?
「特に内野。内野は打者に近い。近いとこわいです。外野なら遠くて安心なんです」
だから彼は外野を守っているのだという。なんでも彼は球だけでなく硬い地面もこわいらしく、そのためにヘッドスライディングができないらしい。打者も地面もこわいので隅のほうの外野に佇んでいたのである。
「僕は球を投げるのは得意なんですが、捕るのが下手なんです」
内野(ショート)の2年生はそう言って微笑んだ。「苦手なんですね」と相槌を打つと、こう続けた。
「いや、苦手じゃなくて下手なんです」
ーどういうこと?
私が首を傾げると彼はよどみなく答えた。
「苦手と下手は違うんです。苦手は自分でそう思っているということで、下手は客観的に見てそうだということ。僕の場合は苦手ではないけど下手なんです」
野球ではなく国語の問題か?と私は思った。ちなみに開成中学校の入試問題(国語)はすべて記述式である。・・・算数や理科、社会も問題文がとても長く、私などは何が問題なのか、にわかに見当がつかないほどなのである。
苦手ではなく下手、ということは、得意だけど下手ということか。矛盾しているような気もするが、「下手の横好き」という諺もあるように下手に限って得意ぶるもので、彼にはその自覚があるということなのだろうか。逆に「下手ではないけど苦手」という生徒もいた。聞けば、彼らの多くは開成中学校の軟式野球部からの繰り上がりである。軟式野球の球は大きくバウンドするので、捕りやすい。それに慣れてしまうと「地面を這うように飛んでくる」硬式の球は捕りにくく、いったん捕れないという苦手意識が身についてしまうと、周囲からも「苦手キャラ」として期待され、それに応えるように本当にエラーしてしまうのだと。つまり本当は上手かもしれないのに、「苦手」という観念がひとり歩きするようにエラーを誘発するらしいのだ。
いずれにせよエラーすることに変わりはなく、彼らは「頭脳野球」ならぬ頭脳でエラーしているかのようだった。
「エラーは開成の伝統ですから」
3塁を守る3年生が開き直るように断言した。部員の中で、彼の守備は際立って上手く見えた。走りながらゴロを拾い、そのまましなやかに1塁に送球。しかしよく見ると球を持っていないことがしばしばあった。
ー伝統なんですか?
「僕たちのようにエラーしまくると、相手は相当油断しますよね。油断を誘うみたいなところもあるんです」
エラーは戦略の一環らしいのである。
彼らは本当に勝ったのだろうか?
あらためて開成がベスト16入りした際の戦績を調べてみると、次の通り。
1回戦/開成10ー2都立科学技術高校(7回コールド)
2回戦/開成13ー3都立八丈高校(5回コールド)
3回戦/開成14-3都立九段高校(7回コールド)
4回戦/開成9ー5都立淵江高校
5回戦/開成3ー10国士舘高校(7回コールド)
・・・
「一般的な野球のセオリーは、拮抗する高いレベルのチーム同士が対戦する際に通用するものなんです。同じことをしたらウチは絶対に勝てない。普通にやったら勝てるわけがないんです」
青木秀憲監督は静かに語った。彼は東京大学野球部出身。・・・
―開成は普通ではないんですね。
私が同意すると彼は否定した。
「いや、むしろ開成が普通なんです」
ー普通なんですか?
「高校野球というと、甲子園常連校の野球を想像すると思うんですが、彼らは小学生の頃からシニアチームで活躍していた子供たちを集めて、専用グラウンドなどがととのった環境で毎日練習している。ある意味、異常な世界なんです。・・・これぐらい力の差があると、精神面などではとてもカバーできません」
・・・
「六大学野球も、ある意味、ありえない世界です。東大は圧倒的に戦力が劣るわけですから・・・そうなると一般的なセオリーは通用しないんです」
―その、一般的なセオリーというのは……?
私がたずねると彼は即答する。答えが瞬時に弾き出されるようだ。
「例えば打順です。一般的には、1番に足の速い選手、2番はバントなど小技ができる選手、そして3番4番5番に強打者を並べます。要するに、1番に出塁させて確実に点を取るというセオリーですが、ウチには通用しません」
―なぜ、ですか?
「そこで確実に1点取っても、その裏の攻撃で10点取られてしまうからです。・・・
つまり、このセオリーには『相手の打撃を抑えられる守備力がある』という前提が隠されているんです。我々のチームにはそれがない。ですから『10点取られる』という前提で一気に15点取る打順を考えなければいけないんです」
・・・
「いうなればハイリスク・ハイリターンのギャンブルなんです」
・・・
「我々のようなチームの場合、ギャンブルを仕掛けなければ勝つ確率は0%なんです。しかしギャンブルを仕掛ければ、活路が見いだせる。・・・」
・・・
―守備のほうは、これで大丈夫なんでしょうか?
私は思わず指摘した。開成の守備はハイリスクどころか、スーパーリスク。・・・
「守備というのは案外、差が出ないんですよ」
さらりと答える青木監督。
・・・
監督が選手たちに要求するのは「試合が壊れない程度に運営できる守備力」だった。そういえば、監督のセオリーの前提は「10点取られる」ということ。10点取られるつもりで守備に当たるので、多少のエラーでは動揺したりしないのである。