持ち味を楽しむ

宇宙飛行士 野口聡一の全仕事術 「究極のテレワーク」と困難を突破するコミュニケーション力

 当事者研究の話のつづきです。カーリングの吉田選手のお話、「勝つとか負けるとかを超えた、いまこの瞬間を生き抜こうとするモチベーション」という言葉が印象に残りました。

 

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 カーリング女子の吉田知那美選手と対談したのは、2018年11月のこと。・・・

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 カーリングが盛んな北海道北見市で生まれ育った吉田さんは、中学時代に日本選手権で活躍、旋風を巻き起こした。・・・2014年ソチ五輪(ロシア)の代表選手として5位入賞に貢献した。

 その直後、チームから突きつけられたのは「戦力外通告」だった。メンバーの若返りが狙いだったようだが、吉田さんにとっては寝耳に水。奈落の底に突き落とされ、生きる目標を失うような深刻な体験だった。

 失意に暮れた吉田さんはまさに「燃え尽き症候群」のような状態になり、やがて銀行を退職。とにかくカーリングから離れようと北海道から飛び出し、各地を旅して回った。その果てにたどり着いたのは、やはりカーリングだった。

 現在所属するロコ・ソラーレ北見市)の設立者・本橋麻里選手から「わたしもかなえたい夢はある。女性アスリートは結婚や出産がマイナスに考えられがちだけど、夢をいつかなえるか、その順番は自分で決める。このチームはそれでいい」と声をかけられ、新天地でカーリングを再開した。「戦力外通告」から4カ月がたっていた。

 これを転機に、「カーリングが人生」ではなく「人生の中にカーリングがある」と考え方を変えた。チームの中なら弱さを見せていい。頼ってもいい。未完成のままだっていい。本橋選手はそれを弱さや弱点ではなく、「個性」と呼んでくれた。

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 2度目の「燃え尽き症候群」は、2018年平昌五輪を機に訪れた。カーリングで日本人初の銅メダルの快挙を成し遂げ、日本に凱旋したときだった。

 帰国後に待ち受けたのは、熱狂的な人々の歓声。それはカーリングをスポーツとして評価しようといううねりというよりも、女性選手たちをアイドルのように好奇のまなざしにさらすようなものだったという。

 吉田さんは、日本ではカーリングはまだスポーツとして認められていないと感じ、「身体は帰国したけれども、心が帰ってこられなかった」と振り返った。もう一回がんばろうという気持ちに戻れるまで、長い時間が必要だった。

 吉田さんは長らく沈思黙考を続け、およそこんな考え方に至ったという。

 ロコ・ソラーレが掲げる目標は「世界一の事前準備をする」ということ。事前準備が足りないと、氷に上がった瞬間に恐怖感に襲われ、「もうやるしかない」と吹っ切れる気持ちにはなかなかなれない。

 だから、金メダルや世界一というずっと先にある目標にばかりこだわるよりも、目標に向かう「事前準備」の段階で、その瞬間をいかに躍動感を持って生きていけるか、そこに注力すること。つまり、具体的なゴールにではなく、そこに至る「過程」にこそ目標を置くという考え方がチームになじむと思い至ったという。

 どういうことかといえば、カーリング大国のカナダがいいお手本だ。カナダでは、チームの実力にさほど大差はない。だから、ファンは勝敗よりもチームの持ち味を楽しみ、応援するという。

 吉田さんたちのチームがカナダに行くと、「あなたたちはいつも楽しそうにカーリングをする。試合を見るのが好きよ」と言ってもらえるそうだ。・・・

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 世界一になりたい。でも同じくらい、選手ひとりひとりの価値はどこにあるのかを追い求めたい。チームにとって勝つとか負けるとかを超えた、いまこの瞬間を生き抜こうとするモチベーション。それさえあれば、きっとのびのびと競技を楽しめるのではないか。

 わたしは、当事者研究で向かい合った吉田さんに、こう語りかけた。

「どうなれば満足に引退できるかと考えているうちはむしろ華で、ほとんどの人は突然引退がやってきます。元バスケットボールのオリンピック選手は、引退せざるを得ない状況に自分を追い込んでしまったといいます。オリンピック選手も宇宙飛行士も、納得できる形で引退を迎えられる保証はない。〝ハレの舞台〟から帰還した後の人生のために、何が引退のきっかけになるかは考えておいた方がいい」

 すると吉田さんから明快な答えが返ってきた。

ロコ・ソラーレは、2018年8月に法人化しました。代表の本橋選手は『法人化すれば、万が一、選手に何かあっても社員として雇うことができる』と。法人化されたことへの安心感は、想像以上に大きいのかもしれません」

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北京五輪ではわたしは30歳です。体力的にどうなるか分からない。技術や精神面では、きっと強くなっていると、自分に期待できる。でも、次を目指す一番の理由は、今のチームがすごく好きだから。このチームでまた4年間を過ごしたい。このチームの最高形が見たい。ひとりひとりがすごく面白くて、その力は未知数。わたしが途中で怪我をしたり、満足できる選手になれなかったりする可能性もある。でも、いまは、このメンバーがオリンピックで戦う姿をもう一度見てみたい。そこに自分がいられるように努力しますが、対戦相手とわたしたちのチームが最高のパフォーマンスで戦って優勝できたら、引退して次のステージへ行くのではないかと自分で予測したりもします」