宇宙空間での感覚

宇宙に行くことは地球を知ること~「宇宙新時代」を生きる~ (光文社新書)

 今ISSに滞在している野口聡一さんと、宇宙に行きたい矢野顕子さんの対談。とても面白かったです。

 

P26

野口 ・・・なぜ宇宙で感覚が遮断されやすいかをお話ししておきますね。

 そもそも宇宙空間とは、空気のない真空であり、昼は120度以上、夜はマイナス150度以下にもなる激しい温度変化がある極限環境です。また、スペースデブリと呼ばれる宇宙ゴミ放射線が飛び交います。

 そうした過酷な宇宙空間から宇宙飛行士を守ってくれるのが、宇宙服です。逆にいえば、船外活動で着る宇宙服は、宇宙空間の激しい温度変化も、真空などの圧力情報も遮断するようにできています。・・・さらにヘルメットの内部では、自由に首を動かすことが難しいうえにガラス越しの視界は限られています。そして船外活動のときにヘルメット内のヘッドセットを通して聞こえてくるのは、船内からの指示や一緒に船外活動をする仲間の声。あるいは自分の呼吸の音だけです。

 重力情報がない、視覚情報がない、耳からの情報も限られる。これこそが宇宙空間、特に船外活動中に感覚遮断が起きやすい理由なんです。

 ・・・すると、地上の常識では考えられないような「感覚のクロスオーバー(お互いに補完し合うこと)」が現れるのです。

 ・・・

 ・・・「硬さで感じる温度」があります。

 宇宙服の手袋は指先にヒーターがついていて、昼間の120度の熱さも夜のマイナス150度の冷たさも感じないように作られています。でも手袋はシリコン製なので、温度によって硬さが変わります。夜の間はカチカチに硬くなった手袋が、昼の間にだんだん柔らかくなってくる。・・・手のひらが太陽を感じるのです。

 「指先で聞く音」も新しい感覚でした。・・・ISSの中は空調のファンや冷却ポンプなど、さまざまな機械が回っています。それらが回り始めると、手すりに振動が伝わってきます。本来、空気の振動は耳で音としてとらえるわけですが、振動自体は手で触覚として感じられます。「(ポンプが)回った!」と。その振動によって、音が聞こえるように感じることも可能なんです。

 「手で感じる水平線」「硬さで感じる温度」「指先で聞く音」―。

 目や耳からの情報が遮断されたとき、残された感覚でなんとか補って、自分の内部に外の世界をつくり上げていく。・・・

 これら多くの感覚に、指先が重要な役割を果たしているのも面白い点です。極端な話、自分と外の世界を繋ぐ唯一の接点が、指先になってしまうということです。

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矢野 ・・・あるとき・・・ISSにいるNASAのニック・ヘイグ宇宙飛行士と俳優のブラッド・ピットの交信を見ていたら、ニックが「船外活動は緊張を強いられるけど、素晴らしい。忘れられないことが一つある。ISSの先端方向に行ったときに風を感じたんだ」と言っていたのが印象に残っています。空気のない宇宙空間で風を感じるって、どういうことなんでしょう?

 ・・・

野口 ・・・矢野さんの質問を聞いて思い出したのは、初飛行での3回目の船外活動です。当時のISSはまだ建設が始まってまもなく、ISSの真ん中にまるで帆掛け船のように1本のマストが立っていて、太陽電池を広げている状態でした。

 僕はISSでの作業でそのマストを登って、てっぺんまで行ったんです。ふと見下ろしたときに、地球の広大な海とその向こうの水平線が見えました。・・・その瞬間、僕は「宇宙を悠々と航海するISSという船に乗って、飛んでいるんだ」という感覚になりました。

 彼も似たような状況だったのではないでしょうか。そのときに立ち現れるのが原始的体験です。ISSの先端で、過去に船に乗っていたときに感じた風を認識したのでしょう。波の音が聞こえた人もいるかもしれません。

 矢野さんも同じ場所に立てば、音を聞くのではないでしょうか。音がないはずの世界で音を聞く。宇宙体験ってそういうことではないかなと思います。