異国文化

日本に住んでる世界のひと

 本のタイトルの通り、身の周りにいろんな国のいろんな人がいるんだなと改めて感じました。

 

P185

 はじまりは俳句友だちの長谷川裕さんだ。この愛すべきおじさんは、携帯電話もテレビも所有せず、万年筆を愛用し、パイプをぷかぷかふかしている。知り合って10年以上になるが、いつも機嫌がいい。物知りなのに威張らない。

「うちのかあちゃん

 妻について話すとき、裕さんはそんな呼び方をする。・・・かあちゃん、すなわち妻のニナさんはメキシコ人で、大学教授をしているという。センスがいい裕さんが伴侶に選んだのはどんな人なんだろうとずっと気になっていた。

 数年前、わたしは裕さん夫妻とメキシコを旅する機会を得た。メキシコシティを、ニナさんは弾む足取りでずんずん歩く。・・・そしてわたしは、日本では気にならなかったあることを初めて意識した。あぁ、ニナさんの肌は白い。ニナさんはヨーロッパからの亡命者の子孫なのだ。

 ・・・

 ニナさんには妹がいて、姉妹はお母さんの意向でリセ・フランセ(フランス人学校)に通った。レベルは高いが、授業はフランス本国と同じ教科書、同じカリキュラムで進められていく。

「フランスの酪農の産地を覚えさせられたり、ナポレオンの歴史を習ったり。そんなこと、メキシコ生まれメキシコ育ちの小学生からしたらおもしろくない!」

 そういう違和感がニナさんを形成していった。異なる国や異なる文化にどう接し、どう比較し、どう評価するべきか。そのことを考えるともなく考えていたという。

 中学生になってガルシア・マルケスなど中南米の小説を読むようになり、やっと勉強が楽しくなった。もうひとつ中学生になってハマったのが空手だった。近所に「日本で修行したフィリピン人の空手家」の道場があり、熱心に通った。

「一同礼!とかね、そういう堅苦しいのが好きだったの、あの頃は」

 そう言ってニナさんはくすくす笑った。

 高校に入るとますます日本に興味が出てきて、メキシコ国立自治大学の日本語コースの聴講生になる。

 ・・・

 ・・・教えてくれたのはロペス先生。この人がまたユニークで、先住民の文化が濃いメキシコ南部の生まれでレバノン系のお母さんをもち、ロシア語、フランス語、英語、アラビア語、それに日本語ができるツワモノだった。「ロペス先生とはその後もずっと付き合いが続いている」と言うので驚くと、ニナさんは笑いながら「ロペス先生はいま埼玉に住んでいる」と続けたのでさらに驚いた。ニナさんのまわりには、生まれ故郷を離れて暮らす人が多い。なんだか地球が小さく感じる。

 ニナさんの日本熱はとどまるところを知らず、日本への留学を志した。リセ・フランセで育ったニナさんはフランス語の成績が抜群で、国費留学生の資格を得た。もっとも、「国費留学の試験に申し込んだのはふたりで、もうひとりは「日本は遠すぎる」って親に反対されて結局試験を受けなかった」らしいが。

 1978年4月7日、ついに日本の土を踏む。できたてほやほやの成田空港に着陸する予定だったが、直前に開港反対派による管制塔占拠事件が起きたため、ニナさんを乗せた飛行機は羽田空港に向かった。

「窓から富士山とコンビナートが見えて、あぁ日本だと思った」

 そこからは東京外国語大学付属日本語学校で日本語と格闘する日々が始まる。メキシコで3年間勉強してつくった「日本語の貯金」は最初の1ヶ月で底をついたらしい。そのあとは「わからない」「おぼえられない」「授業についていけない」と泣きながら、どうにかこうにか宿題をこなした。そんなある日、友だちの家で出会ったのが7歳年上の編集者、裕さんだった。

「ユタカはなんでも教えてくれた。「これなあに」と聞けばすぐ答えてくれるし、私が書いた文章も直してくれるし。ユタカの家族や友だちとも知り合って、少しずつ日本のことがわかるようになったのね」

 なるほど、物知りの裕さんは最強の助っ人だ。比較文学比較文化を専攻したニナさんは、学部では落語をテーマに、大学院では歌舞伎をテーマに論文を書いたというからすごい。大学院に進学する直前に裕さんと結婚し、ふたりの息子を育てながら研究を続けた。江戸時代に書かれた黄表紙を解読する手法でメキシコの19世紀の印刷物を検証し、さらに新大陸に影響を与えたフランスやスペインの資料にも当たるなど、ニナさんの好奇心は軽々と時空を超えていく。

 ニナさんを貫くのは「異文化には、まじめに接しなければいけない」という信念だ。相手の言語や文化を軽んじるのは問題外だが、必要以上に崇め奉る姿勢もまた差別的だと警戒する。

「異国趣味は植民地主義の裏返し。異文化をおもちゃにして弄んではいけない」

 というフレーズが印象深い。

 ・・・

「人が異文化に出会って興味をもつ、理解する、好きになる、その一歩一歩近づいていく過程はとても神聖な領域なの。それをおもちゃにしたらいけない」

 ニナさんは肌が白く、ヨーロッパ人の容貌だ。メキシコにいても日本にいても、外見が目立つことはまちがいない。「よそ者だな」という視線を投げられることもあったかもしれない。でもニナさんはそんなことを気にする暇もないほど、自分が出会った文化を吸収し、満喫することにまっすぐだったんだと思う。

 最後に何気なく聞いた。

「日本に来て、考え方が変わった部分はありますか?」

「あのね、講演会に行くと、最後に「なにかご質問ありますか」って場面があるでしょ。メキシコでは誰も彼もがどうでもいい質問を長々とするのよ。だから私も考えなしにすぐ手を挙げてた。でも日本だと、ああいう場面でみんな遠慮がちにするでしょう。それでいて、頭のよさそうな人がちゃんと的確な質問をする。みんなの時間を無駄にしない、みんなが納得するような質疑応答。それを聞いて、あぁ私、余計な質問をしなくてよかったといつも思うの。日本人は発言するとき、一歩下がって周囲を見て、それから前に出る。その様式が大好き」

 意表をついた答えで、ニヤニヤしてしまった。