日本に住んでる世界の人

日本に住んでる世界のひと

 金井真紀さんの魅力的なイラストとともに、視野の広がるお話がたくさん載っていました。

 

P28

 千葉県の某駅、パン屋さんの前。指定された待ち合わせ場所には、濃い顔立ちの男性と東洋人の女性が仲良く立っていた。

「ラシードさんですか?」

 声をかけると男性はにっこりうなずき、となりの女性が、

「妻です。ごめんなさい、ついてきちゃって」

 と言った。

「パパひとりで取材を受けるはずだったんだけど、出がけに娘がね、「取材のふりして、もし詐欺だったらどうするの?お母さんも一緒に行ったほうがいいんじゃないの」なんて言うもんだから」

 いきなりぶっちゃける妻の寛子さんに、大笑い。そうだよなぁ、世の中には外国出身者を狙った詐欺だってあるかもしれない。妻と子どもたちはいつも心のどこかで「パパを守らなきゃ」と考えているのだ。

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 モルディブという国は、1192の環礁や島からできている。ラシードさんが生まれたのはフェイドゥ島。1時間も歩けば一周できる小さな島だ。人口は「さあて、1000人か2000人か、そのくらい」。大雑把な数字だけど、なんとなく伝わる。

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 19歳でホテルに勤めた。観光業はモルディブ経済の柱だ。ラシードさんは母語のディベヒ語に加えて、英語とドイツ語を使った。世界中からやってくるお客さんと話をするうちに、異国に行きたい気持ちが募ったという。「世界で一番安全なのは日本だ」という噂を耳にして、ついに来日を果たす。

 日本語教師をしていた寛子さんと出会い、結婚して16年。子どもがふたり生まれて、ラシードさん名義で一戸建ての家も買った。・・・

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 終始穏やかなラシードさん。寛子さんが、

「パパは、だいたいいつもご機嫌よね」

 と顔を覗き込むと、

「怒っても、すぐ忘れちゃう」

 飄々と言う。

「いらない情報を溜め込むと疲れちゃう」

 あぁ、ほんとにそうだ。モルディブの両親は「いらない情報はすぐ外に出しなさい、そうしないと前に進めないから」と言ってラシードさんたち14人きょうだいを育てたらしい。とにかくこの世は情報が多すぎる。いらない情報はちぎって、海風に乗せて、吹き飛ばしちゃったほうがいい。

 

P63

 アルメニアは、世界最初のキリスト教国だ。なにしろ、ノアの方舟が漂着した場所だという伝説があるくらいだ。・・・

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 アルメニア大使館に「お話を聞かせてくれる人がいたら紹介してください」とメールを送ったら、すぐにお返事がきた。

「大使が取材に応じると言っております」

 わお、大使自ら!

 赤坂のビルの一室にある大使館にうかがうと、190センチの体をスーツに包んだポゴシャン大使がのっしのっしと出迎えてくれた。・・・

 ポゴシャン大使は、漢字をスイスイと書く人だった。それどころか俳句をつくり、書道をたしなみ、歌舞伎を愛で、漆塗りの職人を訪ね、なぜか自分専用の花押までもっている通人だった。花押って、織田信長武田信玄の時代のサインである。マニアすぎるよ。

 数学者として初めて来日したのは1987年のこと。91年からはずっと日本に住み、国際基督教大学愛媛大学明治大学などで数学と情報科学を教えてきた。

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 1991年12月、ソ連は解体・消滅しアルメニアは独立を果たした。と聞いて、アルメニアを建国から30年ほどの若い国だと思ったら大まちがい。ポゴシャンさんが何気なく発したことばに、わたしは仰天した。

「2018年は忙しかったですよ。首都のエレバンができて2800年の年の節目だから、イベントが多くてね」

 建都2800年!

 その根拠はエレバンの丘から出土した碑文だという。そこには楔形文字で「紀元前782年、ここに城を築いてエレバンと名付けた」と、2800年前の年号が彫られていた。

「ローマより28年お兄さんですよ、エレバンは」

 ひえー、ローマより古い都がいまもあるとは!なんと長い歴史をもつ国だろう。

「こんなに小さな国が、長い歴史を生き延びた。そしていままた独立国家として存在している。本当に不思議なことです」

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 あぁ、そして。アルメニアの歴史を語るとき、避けては通れない大きな事柄がある。・・・

 アルメニア人ジェノサイド(集団殺戮)は、約100年前に起きた。当時、オスマン帝国内にいた250万人のアルメニア人のうち150万人が殺されたと言われている。・・・

「ぼくたちはみんなサバイバーの子孫です」

 とポゴシャンさんは言った。すごい言い方だ。いま、生きているアルメニア人は全員、ジェノサイドの生き残りの子や孫だというわけだ。

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 大使館の応接間には、アルメニアの伝統的な笛ドゥドゥクが飾られていた。それから、ノアの方舟が流れ着いたと言われているアララト山の写真。棚にはアルメニア産の高級ブランデーが並んでいる。

 長い長い歴史を経て、いまのアルメニアがある。その道のりを考えると、アルメニアの人たちが自分の国を大切に、愛おしく思っている理由がわかる気がした。あぁ、すごい人たちだ、アルメニア人。感慨にふけっているわたしに、ポゴシャンさんが明るい調子で言った。

「ま、でも、アルメニア人が「これがアルメニアの宝です」なんてえらそうに言ってもね、実際は大したことない場合も多いです」

 フハハ。あまりにも正直なコメントに、ずっこける。

「これはアルメニア人だけがもっている文化だ、なんて威張っていても、外に出たら同じようなものはあちこちにあるわけです。日本文化だってそう。これこそが日本らしいことだ、日本オリジナルだと思っていても、海外に行けば、別に日本独自のものではないとわかることはたくさんあるでしょう」

 そうだそうだ。物事は、フラットに見なければいけない。とりわけ自国のことになると、人は贔屓したがる。

「よその国に行くことで、正しい愛国主義者になれます」

 ポゴシャンさんはそう言って、ゆったりとほほえんだ。体も大きいし、考え方も大きい。