今日も世界を平和にするための

日本に住んでる世界のひと

 毎日こんな風に目覚めることができたら素晴らしいなぁ・・・と思います。

 

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 8月、イェンソンさんのオフィスを訪ねた。昼下がりの光を照り返す路上は37、8度あっただろう。麹町駅から100メートルちょっとを歩くだけで汗が噴き出してくる。

 だから初対面のご挨拶は自然に「暑いですねぇ」となった。

「暑い!ぼくは先週、アイスランドにいました。だからなおさら」

 とイェンソンさんは笑った。アイスランドの夏は最高気温が15度くらいだとか。

 イェンソンさんは首都レイキャビクで生まれ育った。父は電気技師、母は看護師。

高所得者じゃなかったけど、うちの両親は大の旅行好きで」

 イェンソンさんが子どもの頃、一家は家族旅行をしまくったらしい。アイスランドではどんな仕事でも夏休みが5,6週間とれる。毎年その時期に家族でよその国を旅した。デンマークやイギリスには数ヶ月ずつ住んだこともあるという。身軽に海外に出かけたり住んだりするアイスランド人は珍しくない、とイェンソンさんは言った。

「とにかく小さな国なので」

 希望する学校や職場を求めて海外に移住し、数年後にまた戻ってくる、なんてことがよくあるのだという。そういうライフスタイルが可能なのは、みんな外国語が堪能だからだ。ほとんどのアイスランド人は英語かフランス語かドイツ語が話せる。もちろん母国語はアイスランド語で、1000年前のヴァイキングの時代の言い回しがそのまま残っているユニークな言語だという。

「でもアイスランド語を話す人は、世界で35万人しかいないですからね」

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 旅好きの両親に育てられたイェンソンさんは、ひとりでどこへでも行ける人間に育った。17歳のとき、アメリカに1年間留学した。19歳でEU奨学金を得てオーストリアに行き、3ヶ月ドイツ語を学んだ。チェコハンガリーオーストリアを旅した。大学生のときはデンマークで1年過ごした。卒業後はアイスランドで3年間働き、そこからさらに大学院に進むことにした。

「勉強が好き。たぶん好奇心が強いんだと思います」

 そのまっすぐな好奇心の赴くまま、日本の大学院を目指した。東京工業大学に教えを乞いたい教授がいたからだという。奨学金をもらって、6年かけて修士号と博士号を取った。専門はAI(人工知能)と音声認識

「大学院もすばらしかったけど、それよりなにより東京で暮らすことがおもしろくて仕方がなかった。自分の人生でこんなビッグシティで暮らすことがあるなんて!」

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 理系の大学院生はそうとう忙しいはずで、しかも日本語の習得に四苦八苦していた時期に、イェンソンさんは青春をガンガン謳歌した。ファッションショーのモデルをやったり、3つのバンドを掛け持ちしたり、日本中を旅したり。

「バンドのひとつはフンドシって名前のロックバンドで、ぼくはボーカルでした。メンバーにはイタリア人、ブラジル人、スコットランド人、日本人がいた。数百人の前でライブもやりました。当初、ぼくは大勢の前に出て行くなんて怖くてできないタイプだったけど、ちょっとずつ慣れていきました。いまは経営者として人前でプレゼンする機会も多いけど、あんまり緊張しないのはあの経験のおかげかなぁ」

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 長い学生時代を終えたイェンソンさんは、自分にしかできない仕事を探そうと思った。AIを使って、世の中を変える発明をしよう。それをビジネスにしよう。できれば大好きな日本で。そこまでは決めたけど、具体的なアイディアはなにも浮かんでいなかった。

「その年の4月から11月くらいまで毎日、代々木公園に通いました。ひとりで公園のベンチに座って、パソコンを広げて、ブレーンストーミングする。雨の日も行きました。ホームレスの人と一緒に雨宿りしながら、ひたすら考えた。お金はないし、自分で決めたタイムリミットは過ぎちゃうし、あのときは必死でした」

 そしてついに脳みそから絞り出されてきたのは、AIを使った外国語教材というアイディア。それこそが自分にしかできないことだと確信したイェンソンさんは、投資家に話をもちかけ、会社を設立したのだった。現在イェンソンさんの会社で扱っているのはオンラインの英語教材。受講者のレベルを秒単位でAIが管理する。先生に習うよりも効率よくTOEICの点数を上げることができると胸を張った。これからもっと拡大するつもりだという。

「文化を理解するためには、言語を学ぶ必要がある。だからこれは世界平和に貢献する事業だと思っています」

 すごいな。こういう人が世界を変えるのかもしれないな。イェンソンさんは毎朝、目が覚めると「よーし、今日も世界を平和にするための仕事をするぞ」と思う、するとエネルギーが満ちてくるのだと語った。なんてワンダフルな人生だろう。