ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー(新潮文庫)

 気になりつつまだ読んでなかった本。

 読んでよかったです。

 

P42

 わが家は「荒れている地域」と呼ばれる元公営住宅地にある。どうして「元」なのかといえば、それはサッチャー政権時代に払い下げになった公営住宅地だからだ。

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 サッチャー政権の公営住宅払い下げは、「住人に購入する権利を与える」というものだった。それで買った人たちもいるが、買えなかった住人もいた。また、買った人たちのほうでも、購入してずっと住み続けた人たちもいたし、売却してよそに引っ越して行った人たちもいた。こうして英国の公営住宅地の「まだら現象」が進んで行ったのである。

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 例えば、わが家の近辺ひとつ取ってみても、左隣はサッチャー時代の払い下げで購入しそれ以来ずっと住んでいる公営住宅地時代からの住人だし、右隣は不動産屋を通じて購入した若い夫婦だ。彼らはミドルクラスのけっこう裕福なカップルなので、庭にジャグジーはあるわ、ガラス張りのフィットネスジムは増築するわで、貧乏くさいわが家との鮮やかなコントラストが近所でも話題になっている。英国では近年、ミドルクラスの人々が安価な元公営住宅を購入し、お洒落でゴージャスな改装を施して住むのが流行していて、「デザイナーズホテル」をもじって「デザイナーズ公営住宅」と呼ばれている。

 そうかと思えばお向かいはいまでも公営住宅であり、70年代からいるという老夫婦が住んでいるし、その隣は不動産屋を通じて家を購入したパキスタン系移民の家庭が、煉瓦の壁に黄色っぽいベージュのペンキを塗って屋根をえんじ色にし、個性的な色彩感覚で元公営住宅地に異国情緒を添えている。

 そうした住人の国籍も階級もまだら状態になった住宅地の坂を上って行くと、コンクリートの巨大な高層住宅が見えてくる。それは2階建ての公営住宅が立ち並ぶ地区に後から付け加えられた、15階建ての公営団地だ。

 そこは、我々まだら地区側の住人たちに「ヤバい」と言われている一角であり、夜中にパトカーや救急車のサイレンの音が聞こえたら、「あそこに行ってるんだろうな」と反射的に思ってしまうような場所だ(実際、わりと、ほぼ間違いなくそうである)。この高層団地はまだら化が進まなかった。民間に払い下げようとしたこともあったようだが、あまりに評判が悪くていくら値段を下げても買う人がいなかったという説もある。

 労働党が政権を握っていたゼロ年代に「チャヴ」という言葉が誕生し、英国で大きな社会問題となった。「無礼で粗野な振る舞いに象徴される下層階級の若者」とオックスフォード英英辞典が定義するチャヴは、くだんの高層団地のような場所に住む白人労働者階級の総称として使用されてきた。・・・知識人たちは「彼らのファッションや生態をステレオタイプ化してレッテル貼りしてはならない」と言って忌避する言葉になっているが、実際に彼らのそばで生活していると、やはり彼らの見た目や暮らしぶりはあまり多様性に富んでいないことに気づく。

 そして断言しておくが、これは腫れ物に触るようなポリティカル・コレクトネス(PC)で回避しておけば解決できる問題ではない。

 問題の根元にあるのは、リアルな貧しさだからである。

 例えば、元底辺中学校に通い始めた初日、うちの息子は帰ってくるなりわたしの部屋に来て言った。

「休憩時間に教室で何人かの子と喋ってたんだ。『どんな夏休みだった?』って聞いたら、『ずっとお腹が空いていた』と言った子がいた」

 ・・・

 ・・・「夏休みはずっとお腹が空いていた」と息子に言った少年はティムという名前で、「ヤバい」と言われている高層公営団地に住んでいる子だ。うちの息子も中学生とは思えないほど体が小さいが、ティムも負けないぐらいに小柄でガリガリに痩せている。4人兄弟の3番目で、母親はシングルマザーらしい。

「すぐ上のお兄ちゃんも学校にいるんだけど、学食で万引きばっかしてる」

「一番上のお兄ちゃんは、ドラッグやり過ぎて死にかけたことがあるんだって」

 などという息子の話を聞いていると、カトリック校時代にはあり得なかったごっつい会話を学校でするようになっているんだなと思う。とはいえ、底辺託児所に通っていた頃の息子は、こういう子どもたちに囲まれていたのだ。

 ウェルカム・バック・トゥ・ザ・リアル・ワールド。ミドルクラスの柔らかな泡に包まれた世界で学んでいた息子が、この界隈の現実に戻ってきた。

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 ・・・

 それまでは、クリスマスといえば、息子が通っていたカトリック系小学校が聖歌隊コンサートを行っていたので、教会で聖歌を聞きながら厳かに迎えるのが常だったが、元底辺中学校は講堂でポップなコンサートを行っていた。演奏される曲はすべて音楽部の生徒が作詞作曲したオリジナルのクリスマス・ソングで、講堂では演奏曲のCDまで発売されていた。・・・

 ・・・コンサートが終盤にさしかかった頃、ひょろっと全身が細長い、眉毛の無い爬虫類みたいな容貌のコワモテの少年が、・・・ステージの上に登場した。・・・

「俺は坂の上の公営団地に住むラッパーです。今日は俺が書いたクリスマス・ソングをやります」

 そう言って音響担当のほうを見て頷くと、講堂にトラックが響き始め、畳みかけるようにジェイソンがラップを始めた。

「父ちゃん、団地の前で倒れてる

 母ちゃん、泥酔でがなってる

 姉ちゃん、インスタにアクセスできずに暴れてる 

 婆ちゃん、流しに差し歯を落として棒立ち

 

 七面鳥がオーブンの中で焦げてる 

 俺は野菜を刻み続ける

 父ちゃん、金を使い果たして

 母ちゃん、2.99ポンドのワインで潰れて

 姉ちゃん、リベンジポルノを流出されて

 婆ちゃん、差し歯なしのクリスマスを迎えて 

 どうやって七面鳥を食べればいいんだいってさめざめ泣いてる

 俺は黙って野菜を刻み続ける」

 ・・・

「姉ちゃん、新しい男を連れてきて

 母ちゃん、七面鳥が小さすぎるって

 婆ちゃん、あたしゃ歯がないから食べれないって

 父ちゃん、ついに死んだんじゃねえかって

 団地の下まで見に行ったら

 犬糞を枕代わりにラリって寝てた」

 ・・・

 ダークすぎる歌詞のクリスマス・ラップの最終部で、トラックのテンポが急にスローになり、眉毛の無いジェイソン・ステイサムはゆっくり詩を朗読するように言った。

「だが違う。来年はきっと違う。姉ちゃん、母ちゃん、婆ちゃん、父ちゃん、俺、友よ、すべての友よ。来年は違う。別の年になる。万国の万引きたちよ、団結せよ」

 わたしの背中に鳥肌が立っていた。「万国の万引きたちよ、団結せよ」というのは、英国の伝説のバンド、ザ・スミスの有名な曲のタイトルである。ジェイソンよ、階級闘争でも始めるつもりか、と思った。彼が右手を宙でくるっと一回転させて中世の貴族みたいな身振りで大袈裟にお辞儀すると、少なくとも講堂を埋めていた人々の半分はやんややんやの大喝采を贈り、いつまでも歓声が鳴りやまなかった。

 何よりも強く記憶に残っているのは、講堂の両端や後部に立っていた教員たちの姿だ。校長も、副校長も、生徒指導担当も、数学の教員も、体育の教員も、全員が「うちの生徒、やるでしょ」と言いたげな誇らしい顔をしてジェイソンに拍手を贈っていたのである。

 いまでもいろいろ問題はあるにせよ、元底辺中学校に「元」をつけたのは、きっとこの教員たちの迷いのない拍手なのだ。