何とかならない時代の幸福論

何とかならない時代の幸福論

「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」の著者、ブレイディみかこさんと、鴻上尚史さんの対談本、興味深く読みました。

 

P51

ブレイディ 日本のいいところはあるわけだから・・・ただやっぱり足りない何かがありますよね。2019年、日本に台風が来た時、どこかの避難所でホームレスが入るのを役所から断られましたよね。実はイギリスでもニュースになってました。BBCが報じてたのかな、新聞にも載ってましたし。

 その時、息子が言ったんですよ。「日本人は、社会に対する信頼が足りないんじゃないか」って。息子によれば、そのホームレスを断った人は、自分のことを本当は考えていないんじゃないかと。もし自分がここで「ダメです。入れられません」と言ってしまった場合に、そのホームレスの方はそれからどうなるんだろうって考えたら嫌じゃないですか、すごい嵐の中でどんな目に遭うかわからない。もしかしたら命を落とすかもしれないと思ったら。

 そんな状況は、個人が背負っていくにはすごく重いじゃないですか。だから本当に自分のことを考えてるんだったら、いいですよって入れちゃったほうが楽じゃないかと。でもそこで入れられなかったのは、避難所に来てらっしゃる他の方―例えば町内会など地域の人々や、自分が所属している役所の部署の上司とかが、拒否したいだろうって思ったから。

「本当に個人として自分のことを考えたら、そこで誰かの生命に対して責任を負うなんてことはしないはずだ」って、ウチの息子は言うんですよ。だから、「周囲の人たちがきっと嫌だって言うに違いない」っていう考えは、あまりにも社会への信頼が足りない。確かに日本にはそういうところは、あるような気がしますね。

 

鴻上 僕がずっと言ってることですが、「世間」と「社会」で考えれば、そのホームレスを断った人は世間に生きている。自分と利害関係がある人達のことを世間と呼んで、自分と全く利害関係のない人達が社会になるんですけど、避難所に集まった人達は、区役所の人にとって世間で、ホームレスは社会、ということになるんです。結局、区の役所の人の場合は世間を選んで、社会は無視したんです。

 私達日本人が、駅でベビーカーを抱えてフーフー言いながら、階段を上がっている女性を助けないのは、社会に生きている人達だから関係ないと考えるからです。知り合いだったら、すぐ飛んでいって助けるでしょう。それは相手が世間の人だからです。

 ・・・

 日本人は、そうやって世間だけで生きてきた。ちょうど昭和中期ぐらいまでは、それでも国は回ってたから問題なかったんだけど、価値が多様化して、「世間」が弱体化して、「社会」とつながるしかない時代になっていると思います。

 ・・・

 ・・・価値も人間も多様化することを分かっている人達は、どうやって関係をつないでいったらいいんだろうって、多様性の中でコミュニケートする方法を探してるんだと思うんです。だから『ぼくはイエローで~』に出てくる、「シンパシー」と「エンパシー」の違いについて書いた部分も、僕はすごく感動したんです。

 

ブレイディ シンパシーとエンパシーって、語学学校で英語を勉強してた時に引っ掛け問題でよく出てきたんです。・・・

 シンパシーというのは、・・・感情的に同情したり、同じような意見を持つ人に共鳴したりすることですよね。SNSなら「いいね」ボタンみたいなもの。でもエンパシーはそうじゃなくて、対象に制限はない。自分と同じ意見を持ってない人でも同上できない人でも対象になり得る。この人の立場だったら自分はどう感じるだろうって想像してみる能力―アビリティって英英辞書には書いてあるんです。

 だからそこには希望があると思う。アビリティだったら、伸びるし、伸ばせるわけじゃないですか。「エンパシーという能力を磨いていくことが多様性には大事なんだよ」と、息子が学校で習ってきたんですけど、これは本当にその通りだなと思います。

 

P154

ブレイディ ・・・日本にも確かにいいところはあって、安全だっていうのもそうじゃないですかね。これは、やっぱり世界に誇っていいですよ。・・・

 私、昔『THIS IS JAPAN』(新潮文庫)っていう本の執筆のために、日本に1カ月滞在したことがあるんです。その時に世田谷の自主保育の現場を取材して書いたことがあるんですよね。自主保育というのは、幼稚園でも保育園でもない、公園とかの野外を拠点とした保育の取り組みで、保護者たちがグループを作り、当番制で子どもたちの面倒を見ているんです。

 ・・・実際に行ってみたら、彼女たちの保育の拠点になっている多摩川の川べりに、ホームレスのおじさんが自分で家を建てて住んでらっしゃるんですよ。元々、大工さんだったか何かみたいで。

 驚いたのは、そのおじさんが子どもたちと交流して、いろんなことを教えてるんですよ。例えばそのホームレスのおじさんが針金かなんかを拾ってきて、みんなで針金を工作したり、おじさんは周辺の自然のことも知ってるから、今あそこに行ったら桃がなってると教えてくれたり、虫についても教えてくれるらしいんですよ。

 私、それを聞いた時に、信じられなかったです。これはイギリスだったらあり得ないことなんですよ。・・・イギリスみたいに「社会」が発達してると、保育のガイドラインもうるさいわけですよ。ホームレスの方は統計データとして、やっぱり依存症の問題を抱えている方が多いとか、ほかにも衛生上の問題が出てくる。だから子どもを近づかせてはいけないという考えが先にくると思うんですよ。また、イギリスでは子どもと触れ合う職業の人は必ずポリスチェックを受ける。前科がないこととか、ちゃんとわかってないと一緒に遊ばせられないんです。

 一方で日本の、その世田谷の自主保育のお母さんたちは、その方を本当に信頼していた。一日のセッションの終わりに、お母さんたちが円になってその日の反省会をしているんですけど、あら、お母さんたちみんなここにいるっていうことは、今子どもは誰が見てるんだろうと思って、フッと振り向いたら、そのホームレスのおじさんが、川べりで子ども10人ぐらいと走り回ってサッカーをやってるんですよ。私ね、それを見た時、本当に涙が出てきました。・・・

 日本は、すごいがんじがらめみたいなところがあるのに、思わぬところで突破口みたいな変な穴が開いてる。帰りにバスの窓から子どもたちがホームレスのおじさんと遊んでるのを見た時に、もうなんかすごい涙が出てきて。これ、日本の緩さでもあるんだけど、いいところでもある。・・・