迷惑かけてありがとう

マイノリティデザインー弱さを生かせる社会をつくろう(ライツ社)

 さいごはこのように結ばれていました。

 

P325

 僕には、1つ願いがあります。「自分がいなかった世界と、いた世界は、ちがう世界であってほしい」。

 これは、多くの人が願っていることかもしれません。でも僕らは知っています。僕が生まれる前からこの世界はある。そして、僕らがこの世界からいなくなっても、何事もなかったかのように世界は続いていく。

 でも、やっぱり僕はどうしても欲張ってしまう。自分がいなくなる前に、すこしでも社会を今よりも良くしたい。それは、やっぱり息子のことがあるからです。

 残念ながら、今の日本社会では、まだまだ視覚障害者を取り巻く環境は「良い」とは言えません。ホームドアがないことにより、ホームから転落して亡くなってしまう事故が続いています。学校を卒業した後、居られるコミュニティや職場は豊富とは言えません。仕事の面でも、視覚に障害がある労働者のうち47%の月収は10万円以下とも言われています。

 だから自分がいなくなる前に、この世界を、今よりも良い世界にしたい。

 でも、僕には限界があります。だからこそ、大勢の仲間に頼っています。これを読んでいるあなたの力を借りることもあるかもしれません。昭和のプロボクサーでありコメディアンのたこ八郎さんが、こんな言葉を残しています。

「迷惑かけて ありがとう」。

 不思議な言葉だな、とずっと思っていたんですが、息子が生まれ、障害のある友人たちと時間を過ごす中で、この言葉がスッと心に響いてきました。

 障害があると、大変なことがいろいろあります。見方によっては、親である僕も迷惑をかけられているのかもしれない。障害のある友人から悩みを打ち明けられたり、「助けてほしい」と言われることも、もしかしたら迷惑をかけられているのかもしれない。

 けれども、そのおかげで僕は本気になれて、働くことに夢中になれて、走馬灯を更新することができた。僕にとっては宝物のような迷惑をかけられたんです。

 迷惑とは、あるいは弱さとは、周りの人の本気や強さを引き出す、大切なもの。

 だからこそ、お互い迷惑をかけあって、それでも「ありがとう」と言い合える関係をつくれたなら、これ以上の幸せはありません。

 すべての弱さは、社会の伸びしろ。

 僕は、これからも大切な人から迷惑をかけられたい。代わりに僕も、「息子が暮らしやすい社会を、一緒につくってくれない?」とだれかに迷惑をかけるかもしれない。持ちつ持たれつ、お互いさまで、それぞれが培ってきた力を交換する。

 それが、「働く」ってことなのかな、と僕は今思っています。