禅とジブリ

禅とジブリ

 鈴木敏夫さんとお坊さんの対談、興味深く読みました。

 

P29

鈴木 先日、テレビに住職が出ておられるのを拝見して、「法下箸」「即今目前」という言葉についてお話しなさっていましたが、あれはいい言葉ですね。

細川 「放り出せ」「今を生きよ」というような意味の禅語ですね。過去と未来に捉われてはいけない、というのは二千五百年前にお釈迦さまがおっしゃったことで。

鈴木 お釈迦さまの時代から言われていたんですね……。西洋の近代合理主義は、過去と未来という時間の流れの中で現在を考えるでしょう。でも、それって本当なの?って、すごく気になるんですよね。というのは、いろんな人を見てきても、目の前のことを忘れている人が多すぎるから。今、みんなそれで悩んでいますよ。人生は本来、ケ・セラ・セラ。明日のことなどわからないはずなのに、みんなが過去に捉われ、未来のことを考えている。

細川 ジブリの『レッドタートル ある島の物語』に、詩人の谷川俊太郎さんが、主人公の男について「生まれたての赤ん坊のように……」と言葉を寄せられていましたよね。私たち禅僧も、目指すべき悟りは「赤子」だとよく言うんです。赤ちゃんは「明日は何をしようか」なんて考えていなくて、昨日のことも考えていない。泣きたいときに泣いて、笑いたいときに笑う。そういう生き方ができればいいと。これを本当に実践したら世の中メチャクチャになっちゃうかもしれませんが(笑)、そういう心持ちは大事だと思うんです。

 

P61

鈴木 住職が、今回の対談にあたって事前にいくつか禅語を挙げてくださいました。その中のひとつ、「本来無一物」。これがねえ、吉川英治の小説『宮本武蔵』に出てくるんですよ。

細川 ええ、そうですね。クライマックスで。

鈴木 『宮本武蔵』って、僕は中学生のとき初めて読んで以来、高校、大学と、繰り返し読みました。多感な時期に影響を受けたんですけれど。その中に「無一物」という言葉があって、わからないながらに「ウーン、そうだよな」って一所懸命思ってた。

細川 「無一物」は、小説の中で妙心寺の愚堂東寔禅師が武蔵に伝えた言葉です。武蔵が恐れていたのは、人の恨み。剣の道は人を殺める道ですから、顔も知らない誰かから恨まれていることを、武蔵は小説の終盤で恐怖します。そこで愚堂禅師に教えを請うたところ、禅師は「無一物」と一言だけ言って立ち去ってしまう。それを武蔵は毎日追いかけて、その意味を知ろうとするんです。そしてついに立ち止まった禅師は、武蔵の周りに木の棒で円を描いた。円を描かれた武蔵は、「円を拡げてみるとそのまま世界となり、縮めてみると、自己がある」ということに気付くんです。自分は本来無一物、何も持っていない。すべての縁によって自分が成り立っているとわかったというんです。

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 単に「金も名誉も手放せ」という意味ではなくて、自分が無一物であることを認識すると、悩みも自分の影法師でしかない、と。・・・

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 すべては、あらゆるものとの関係性で動いていく。自分だけでゴールを目指すと疲れてしまいますが、誰かにバトンを渡すと考えると、「本来無一物」という考え方につながっていきます。自分で完成させなくても、誰か身近な人にバトンタッチすればよい。それは幸せな生き方なんじゃないか、と思うんですよね。

 

P88

細川 「生業」という言葉がありますね。「生活するための仕事」という意味合いが強い言葉ですが、自分にとって僧侶とは「生業」なのか「生き方」なのか、といろいろと考えた時期があったんです。考えるうちに、いい言葉に出合いました。「道楽」です。道楽は今ではイメージの悪い言葉ですが、本来は「仏道を歩むことを楽しむ」という仏教用語なんです。そうなれるといいな、と。

鈴木 「道楽」って仏教の言葉なんですか⁉驚いた。岩波新書から出した僕の本のタイトルが『仕事道楽』。好きな言葉のひとつですよ。そのタイトルを見て、宮さんは「仕事が道楽とは何だっ」と怒りました。彼はまじめな人なんで、違和感があったんでしょうね。彼にも理解してもらいたかったけれども、やっぱり僕は仕事とは道楽だと思ったんです。