しあわせという言葉の語源、初めて知りました。
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玄侑 ジブリの作品は「縁」とも言うべき、論理的に説明できない偶然性を大いに活用していらっしゃって、そのあたりがとても日本的だな、と思いますね。・・・
仏教は物事が起こるメカニズムを「因果」と「縁起」で考えます。「因果」とは「原因」と「結果」という関係で見る考え方。しかしそれは筋道を付けて納得しているだけで、なぜ起こったのかの説明にはならないのではないか、という見方もあるんですよ。
一方「縁起」は、あらゆる物事の網目のような関係性の中で、思いもよらないことが生起すると考える。この世の複雑さを説明するのに、縁起以上の考え方はないと思うんです。ジブリ作品はその考えをものすごく取り込んでいるな、と。「何が起こるかわからない。それでも行く」。ああ人生そのものだな、と思いますね。
鈴木 僕なんかでも、人とのつながりで仕事が仕事を呼んで、思いがけない結果になることはしょっちゅうですもんね。
玄侑 目標に向かって努力して、その通り実現することって、世の中で起こることのほんの少しだと思うんですよ。
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鈴木 高畑さんの『ホーホケキョ となりの山田くん』という作品で、ひとつだけ僕が高畑さんに提案したのは、シャンソンの「ケ・セラ・セラ」、これを主題歌にしたらどうかということ。高畑さんは、受け入れてくれましたね。あれは「明日のことはわからない」という歌だから。
玄侑 ビートルズの「レット・イット・ビー(あるがままに)」も、禅の影響を受けていますね。それで言えば、植木等の「だまって俺についてこい」。あれは強烈な歌ですよね。
鈴木 あれはすごい歌詞ですよ。「〽ぜにのないやつぁ俺んとこへこい、俺もないけど心配すんな」と。
玄侑 その後もすごい。
玄侑・鈴木 〽みろよ青い空、白い雲、そのうちなんとかなるだろう!!
玄侑 「スーダラ節」だって仏教的です。植木等は「スーダラ節」を世に出す前に、お父さんの前で歌ったらしいんです。「こんなふざけた歌を歌っていいんだろうか」って。歌を聞いたお父さんは、「そうだ、その通りだ!」と喜んだと。
鈴木 わはは。
玄侑 彼のお父さんは浄土真宗のお坊さんで、「スーダラ節」は親鸞聖人の教えと同じだと言ったそうです。「わかっちゃいるけどやめられないんだ、それが人間だ」って。
鈴木 ただ無責任なだけじゃないんだ(笑)。
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玄侑 シアワセって和語ですよね。「幸せ」と書くようになったのは明治からです。最初に見えるのは奈良時代で、「為合」と書きました。「何かが為すことに合わせる」。その「何か」とは、最初は天だったんですね。「天が為すことに合わせる」。ですから運命と同じような意味でした。
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私は中国の『荘子』という本が好きなんです。その冒頭がすごい。もともと小さな魚の卵が、鯤という巨大な魚になり、魚になったと思ったら、鵬(おおとり)になって空へ飛んでいく。まるでジブリの映画のような、何なんだこれは、と思わされるような生物が描かれます。
ここでは、「これが自分だ、と思ったものを何度でも脱ぎ捨てなさい」と説かれているのだと思うんです。「自分とは、これだ」と思ったときから苦しみは始まる。だから、「まだ途中なんじゃないのか」と問いかけるんですね。「自分を捨てる」と言うと難しいですが、「違う自分がいる」くらいに思うといいんだと思います。