私にうれしさが留まっている

思いがけず利他

 印象に残ったところです。

 

P60

 例えば、「私はうれしい」と言う場合、ヒンディー語では「私にうれしさが留まっている」という言い方をします。「風邪をひいた」も同様で、「私に風邪が留まっている」という言い方をします。この「~に」で始める構文を「与格構文」と言います。

 ・・・多くの場合は、日本語と同じように、主語を「~は」「~が」で表現します。「私は会社員です」「私がやります」など、「主格」を使う場合が大半です。

 ・・・

 では、ヒンディー語話者の間で、「主格」と「与格」の使い分けは、どのようにしてなされているのでしょうか。

 文法書では、自分の意思や力が及ばない現象については、「与格」を使って表現すると書いてあります。この説明を読んで、「なるほど」と思いました。要は自分の行為や感情が、不可抗力によって作動する場合、ヒンディー語では「与格」を使うのです。

 確かに、風邪をひこうと思ってひく人はいないでしょう。「うれしい」「悲しい」という感情も、私の意思によってコントロールしているわけではありません。自ずと湧き上がってくるものです。・・・

 学生時代、私が「なるほど」と思ったのが「愛」の表現でした。ヒンディー語では、「私はあなたを愛している」というように主格を使う場合もありますが、「私にあなたへの愛がやって来て留まっている」というように、与格を使う表現もあります。・・・あなたのことを愛そうと思って愛したのではない。あなたへの愛がやって来たんだ。不可抗力なんだ。どうしようもないんだ。そんな愛の構造が言語に表れていて、何かカッコイイ表現をするな、と思いました。

 

P115

 ・・・異なるアプローチで認知症の人たちのケアを実践している人たちがいます。私が注目しているのは「注文をまちがえる料理店」という活動を行っている人たちです、これは認知症の人たちがホールスタッフを務める期間限定のレストランで、注文していない料理が出てきても、客側がそれを受け入れることで成り立っています。認知症の人たちは、労働による賃金を得ることができ、客側は間違いに寛容であることの大切さを学びます。

 ・・・

 ホールを任された認知症の人たちは、あくまでも注文を間違えないように仕事をします。「ちばる食堂」は、福祉目的で運営されている食堂ではなく、ごく一般的な沖縄料理店として運営されています。そのため、客の多くは入店するまで、この店の特徴を知りません。お店のメニューに書いてある注意書きと働いている人の姿を見て、そのことを知ります。

「ちばる食堂」の経営者で、厨房で料理を作る市川貴章さんは、四人の従業員について、次のように述べています。

 

認知症と診断されても、認知症と診断されていなくても

『働く能力』は一緒だということがこの一年で分かりました

と、共にこれまでの経験がちゃんと出るんだなということもよく分かります

カラオケ喫茶を営んでいたBさん(女性、仮名)は

昔の経験から接客から皿洗いなどチャキチャキと働けますが

サラリーマンだったCさん(男性、仮名)は家事をあまりしてこなかったのか

少し苦手ですが、箸袋に箸を入れたり作業的なことはとても得意です

水を出したりすることは忘れちゃうけど、注文をとることは忘れません

若干の人見知りで、積極的には話しませんがとてもユニークな人です

逆にAさん(男性、仮名)は、積極的に若い女の子をめがけて話に行き、その席から

離れない積極性がありますが、注文をとるのがちょっと苦手です

お客さんには、エプロンのポッケに入ってる注文表をみつけてもらい書いてもらえる

と助かります

Dさん(女性、仮名)は、皿洗いさせたら食洗機より早く丁寧に洗います

長年やって来たんだなぁってことが分かる

一番見てて面白いのは、13時くらいになると僕の顔と時計を交互に見る時が来て。あえて『どうしたの?』って聞くと

『お腹がペコペコ』です!って笑顔でいうから

(中略)

特別な何かをするわけでなくて

その人を知り、その人が一番本領発揮できる場面にいれるようにする。

あとは、僕は麺を茹でるだけ(「kaigoブログ」二〇二〇年三月一三日、原文ママ