ヒンディー語

ええかげん論

 ヒンディー語の与格というのは興味深いなーと思っていましたが、時間感覚もとても印象的でした。

 

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土井 私は実はね、二〇一八年、一人でインドへ行ったんです。

中島 そうですか。そりゃ大変ですね。

土井 行く前から、インドに行ったらいろいろあるだろうと人から聞いたり、読んだりして、覚悟していたのです。だから、インドへ行ったら、すべてを受け入れようと思っていました。

 自分で細かく予定を考える時間がとれなくて、・・・インド人のドライバーを雇ってもらって、あとは、ずっとそのドライバーの彼と二人旅。・・・

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 インドは車で走っているだけでも、すごいんです。道路を逆走してくるオートバイなんてあたりまえで、三人乗りどころか、大人のあいだに二人の子どもを乗せて、ノーヘル猛スピードの五人乗りなんてこともあるんです。超満員のバスが停まっていれば、まだまだ乗り込むし、道路脇には猿山があるし、山羊使いがいるし、神聖とされる牛がぶらぶら横切る。

 ドライバーの彼がしゃべれる日本語は「こんにちは」とかじゃなくて、「シンジロ(信じろ)ミー」だけなんです。絶対、信じられへんのですけど。何かあると、「シンジロミー」。でも彼といるのが私は、すごく楽しかったんですよ。

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 まあ、いろいろ山ほどあったんですけど。彼はほんと自由で……。自分の必要なものや好きなものが売ってるお店があれば、勝手に車を停めて買い物、物色をはじめるんですね。

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 予定したことはなんにもできないんです。最終日の朝、「どうする?」って聞いたら、いちばん最初に、「今日は行くぞ」って、どこかと思ったら車の修理工場。路面の町工場で、二時間くらい待ってたら、ミルクティーを振る舞うだけの人が来て、お金を払おうと思ったらいらないって。顔を上げてその人の顔を見たら、初めて見るような美しい顔に打たれたのです。その甘いミルクティーはすごくおいしかった。

 彼と二人、インド音楽をガンガンかけながらのドライブ旅行。途中から、彼は私のことをファーザーとか呼ぶようになって。

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 なんかすごくおもしろかったという旅行なんですね。今のふつうの日本人は、それに耐えられなくて、怒ってしまうかもしれない。けど、実は彼らには非常に純粋な心があって、それを、許す、いや認めることができたら、すごく、楽しかったんですね。

中島 いやー、なんかね、もうほんとに予想外のことがいろいろ起きますよね。時間どおりに電車は来ず、それを待っているあいだに、近所の人が「家に来い」とか言うんですね。で、僕が「電車待ってる」って言ったら、「電車は毎日来る」って言うんですよね。「それはわかるけれど」とかですね。時間の感覚が全然、違うなって思いますね。

 ヒンディー語で明日と昨日は同じ単語なんです。明後日とおとといも同じ単語。時間が円環していて、過去か未来かよりも、今という時からの距離が重要になる。この独特の時間感覚がおもしろいなと思いました。

 

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中島 ・・・西谷啓治という哲学者が、華道、お花を生けるというのは、人間が花を切ることによって、再配置することによって、そこに宇宙が現れることである、というふうに言っていて、土井先生の料理と呼応するところがあると思ったんです。芋が気持ちよさそうにしているとおっしゃる。

土井 そうです。イサム・ノグチも「石が笑いかける」、河井寛次郎も「石が笑ってくる」、私は「芋が笑っている」なんて言葉を残しているわけですね。先生が『料理と利他』で、ヒンディー語では「私がうれしい」という言い方ではなくて、「うれしさが私の元にとどまっている」という言い方をするという、与格の話をしてくださいましたが、与格って、ものに対して、敬意を払って格を与えることと考えていいんですか?

中島 そうですね。与格にとって重要なのは、私が器であるという感覚だと思います。そこにさまざまなものがやってきてとどまる。では、それはどこからやってくるかが問題になります。主格だとやっぱり人間にだけ主体があって、世界をコントロールするという感じですよね。

土井 与格というのは、自分と石が対等ということだと思うんです。

中島 おっしゃるとおりで、人間だけが理性を持って、主体を持って、意思を持って判断するとは、ヒンディー語の与格では考えられていないんだと思います。あらゆる万物の根っこには、神があり、それが人間というかたちをとったり、石というかたちをとったり、いろんなかたちをとる。すべてが器なんだという発想が、与えられたものとしての与格になっているのかな、と思うんです。

 先生の料理論のなかでも、食材が語りかけてくる、あるいは、「きれい」というものに導かれて料理するとおっしゃっています。それは、流れに乗るとか、自分を超えた力に沿っていくことによって、何かができあがっていくという感覚だと思うんですが。

 

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中島 前回も話に出ましたが、人間ってやっぱり、「偶然」という要素がすごく重要だと思うんです。

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 来たものに対して対応していくなかで、何かが自分のなかに生まれてくるというのが人生なんじゃないか、と思っているんです。

土井 まったくそうですよ。私、中島先生の、ヒンディー語を学びはじめられたきっかけの話をうかがって、「最高やなあ」と(笑)。でも、人間ってそういうことなんですよね。

中島 そうなんですよね(笑)。本当にお恥ずかしい話なんですけど、予備校に行っているときに付き合っていた女性がいて、その人が「外国語大学に行きたい」という人だったので、僕バカなので、じゃあ僕もそこへ行くと。その人が、どうしてもインドネシア語を勉強したいと言っていたので、じゃあ俺もインドネシア語にすると言ったら、同じクラスでインドネシア語を勉強するのはヤダと言われたんですね。じゃあもういいわ、ネシアとってインドでいいやって。それで、ヒンディー語を選んだんですよね。

土井 最高ですよ(笑)。

中島 それでインドに長期滞在して、インドの研究やって、学者になって、今、テレビに出たり、土井先生とお話をしている。もう訳がわからないんですけど、それが、人生のおもしろいところだと思うんですよね。

土井 実は、自分も先生と同じで、計画して実現したことではまったくないんです。ただ流れを大切にして、目の前のことを一生懸命やってきただけというか、結果です。目標のようなものがあっても、今を疎かにしないで、次に進むことの連続です。それは今もあまり変わらないから、これからどうしますかと聞かれても実は答えられない。行きたい方向が大まかに決まっているということかと思います。

 今を大事にすることには、計画とは違って、計り知れない価値があるように思います。・・・