うらやましい孤独死

うらやましい孤独死

 タイトルを見て、いったいどんな本?と手に取りました。

 大切なこと、情報を、色々と知ることができました。読んでよかったです。

 かなり長くなってしまいますが、象徴的なミツエさんのお話を書きとめておきます。

 

P26

 いま私は「孤独死」なのに「うらやましい」と言えるためには次の2つが重要なのではないかと思っている。

・「死」までに至る生活が孤独でないこと

・誰にも訪れる死への覚悟があること

 鹿児島県の山間部にお住まいだった土喰ミツエさん(ご家族からの許可をいただき実名表記)のケースは、まさにその2つを完璧に持っていた好例だ。

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 鹿児島県の山間部、段々畑が広がるのどかな坂道の途中にぽつんとある十数軒の集落。その中にミツエさんの自宅はあった。

 ミツエさんは90代。隣の集落で生まれ、この地に嫁いで来るまでは看護助手をされていたという。

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 ミツエさんはこの集落で5人の子どもを育てあげた。・・・その後ご主人も亡くなり、一人暮らしになった。・・・

 気持ちは元気でも体は確実に老いていく。ミツエさんは心臓病に膝関節症を抱えていた。

 そして、そのうちに認知症にもなった。次第に物忘れが激しくなっていき、認知症は重度と診断されるまでになった。それでもいつも外に出て畑仕事をしていた。

 山中にぽつんと存在する集落での認知症の高齢者の独居。認知症が重度になった時点で、もう集落での独居生活は難しい、と考えるのがふつうだろう。

 それでもミツエさんは集落を離れなかった。

「病院にも施設にも行かない。この集落から出ない」

 これがミツエさんの願いだった。

 幸いなことに、ミツエさんはその願いを支援してくれる「いろ葉」という小規模多機能介護施設に巡りあうことができた。「いろ葉」は自宅への訪問介護も施設への通い介護(デイサービス)も、緊急時などのお泊まり介護も、すべて提供してくれた。

 重度の認知症とはいえ、何もかもまったくできなくなるわけではない。

 お米を炊くこと、畑仕事、布団の上げ下げなど、昔からやり慣れていることはたいていできる。

「いろ葉」のスタッフたちは日々独居のミツエさんの自宅へ行き、食事や掃除など、本人が困難になりがちな部分だけをさり気なくサポートした。

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 また集落の仲間たちも、ミツエさん宅に電気がついているか、新聞は溜まっていないかなど、常に気にしてくれていた。集落で会合があるときも、認知症であろうが、トイレがうまくいかなかろうが関係なく、ミツエさんを歓迎し、参加させてくれた。

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 集落に雪が積もったある寒い日、ミツエさんが突然いなくなった。「いろ葉」のスタッフが訪問したとき、自宅がもぬけの殻だったのだ。

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 数時間後、ミツエさんはお墓の前にたたずんでいるところを発見された。雪の積もる寒空の下、すでに亡くなっているご主人の姿を求めて外に捜しに出たらしい。・・・

 それでもミツエさんは自宅での生活をあきらめなかった。「いろ葉」の介護スタッフも、近所の人たちもそれを支えた。

 時折帰ってきてはお母さんの生活を見ていた息子さんたちも、遠方で日々心配しながら、それでも本人の思いを大切にしたいという故郷のみんなの思いを尊重してくれた。

 周囲から見ればヒヤヒヤものの生活だったが、それがミツエさんの願いだった。

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 そんなミツエさんの生活が一変した。心臓病が悪化し、とうとう病院に入院となってしまったのだ。

 病院では、主治医から「余命は1週間あるかないか」と告げられた。

 病院に入院したミツエさんの生活は一変した。そして性格も一変した。

 点滴の管を抜く、ベッド柵を乗り越える、昼夜関係なく大声で喚く……ミツエさんは病院で大暴れする〝問題患者〟になってしまった。

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 ・・・ミツエさんの状態を見るに見かねた「いろ葉」のスタッフが、本人・家族、そして病院に自宅に帰ることを提案した・・・

 もちろん、自宅での看取りまで想定し、訪問介護・デイサービスをフルで組み込むことが大前提の提案であった。さらにご近所・ご家族の理解と協力も不可欠だった。

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 当初、病院側だけは「いろ葉」の提案に消極的だった。それが医師の通常の考え方だろう。

 それでも「いろ葉」の熱心な説得があり、さらに家族や近所の同意も得られたことで最終的には病院から退院の許可を得られた。

 こうしてミツエさんは10日ぶりに退院した。

 退院して自宅に戻ると、それまでの暴れっぷりが嘘だったかのように元の穏やかなミツエさんに戻ってしまった。

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 退院して1週間が経ったころだった。その朝、ミツエさんはいつもと同じように大阪の息子さんと電話をした。声の調子はいつもと変わらず、落ち着いた口調だったそうだ。電話の1時間ほど後、「いろ葉」のスタッフがデイサービスのお迎えに訪ねた。

 ミツエさんは布団の中にいた。すでに呼吸は止まっていた。それは優しい顔だった。

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 ミツエさんの最期が一人であったということに、どれほどの意味があるのだろう。

 もし世間がこれを「孤独死」というのなら、これこそがまさに「うらやましい孤独死」ではないだろうか。