それぞれの・・・

「国境なき医師団」を見に行く (講談社文庫)

 このお二人へのインタビューも印象に残りました。

 

P435

 目のくりくりした、笑顔の優しいファビアンはアヴィニョン生まれで、今回が初ミッションという初々しいスタッフであった。

 もともとパリでソーラーシステムの仕事をしていたというから、環境問題に興味があったのだろう。WATSAN(水と衛生)、下水システムを学生時代に学んだ彼は、やがて私企業に入って働いた。けれど、日に日に不満が募ったのだという。

「お金のことばっかり考えるのが嫌になったんです」

 とファビアンはにっこり笑った。

 信頼出来る先輩がいて、すでに人道援助組織で6年活動していた。ファビアンもそういう仕事がしたいと思った。

 企業を3年でやめて、MSFに入った。彼からは満ち足りた活動による心の「張り」のようなものが光みたいに放射されていた。

 ・・・

「人道援助組織は他にもありますけど、なぜMSFだったんですか?」

 するとファビアンは身を乗り出して答えた。

「MSFは問題が起こった場所に素早く入りますよね。おかげで成果がはっきりと刻々と見えるじゃないですか。それが刺激的なんです」

 ・・・

 俺はさらにその奥へ質問をさし向けた。

「ファビアン、なぜ人道援助だったんですか?ボランティアがしたかった理由というか……」

 ファビアンはそこで初めて少し考えた。困っているというのではなく、肝心な話だから正確な言葉を選んでいるという感じだった。

「たとえば、水はお金持ちのためだけにあるんじゃなく、皆で分けあうべきものですよね。なければ死んでしまうんだから」

 まず彼はそう言った。・・・

「水は金儲けのためにあるんじゃなく、人の生活の質を上げるためにこそある。僕はそう思うんです」

 ・・・

「とはいえ、たいした知識も経験もまだないんです。でもある分だけ役に立てるなら、収入よりも自分にはそれが大切だと思っています」

 

P440

 レベッカがMSFに参加したのは2012年、それまで彼女は母国で看護師、助産師を務めており、それを2011年にやめてもともと高校大学で学んでいたフランス語の猛特訓を受けたのだという。MSFの活動地でフランス語が使われている率が高いからだ。

 ・・・

「これまでどんな地域に行かれましたか?」

「そうね、コートジボワールラオスには2回、南スーダン、ネパール、またコートジボワール、そしてここウガンダでミッションは7つ目。ね、フランス語圏が多いでしょ。中でもコートジボワールではスタッフ全員がフランス語しか話さなかったので、わたしには大変でした」

 ・・・

「で、どうしてMSFに入られたんですか?」

助産師をしている時からもちろん知ってました。アメリカでこの組織は尊敬されてますから。それでなぜわたしが助産師になったかというと、わたしは旅行が好きであちこち行ってたんですけど、ある時ミクロネシアで出産に立ち会ったんです。本当に素晴らしい仕事だと思いました」

 感動したレベッカアメリカに戻って助産師の勉強を始めた。

「それまでわたしは中学の教師だったんです。科学を教えていて」

 彼女はその感受性のまま、自らの人生を形作っていた。教師から助産師へと、学びを絶やさない彼女は妊産婦ケアに関しても修士の資格を取るに至り、やがてそのキャリアを人道援助に結びつけていく。

 60歳の年だった。

「その年齢になった時、機会は今しかないと思った。そして、わたしは決断しました」

 まっすぐに俺を見て、レベッカはそう言い、柔らかく笑った。まるで自分の決断を俺に感謝するように。少なくとも彼女の中で、人生の変化は自分以外の何かが起こしていることだという感覚があるのだろう。