ガザ、西岸地区、アンマン

ガザ、西岸地区、アンマン 「国境なき医師団」を見に行く

 こちらの本も読んでみました。

 

P92

 ヤセル・ハープ。45歳。16歳から3歳まで3人の娘と2人の息子を育てる父親だ。

 ガザ出身で2004年からMSFで働くようになったが、それまで人道援助団体があることさえ知らなかった。自分の日々の目的は家族を養うことだと思っていたけれど、それでも2005年から紛争被害者を車に乗せて病院への送り迎えを繰り返すようになって、次第に意識が変わった。

 2008年には砲撃で多くの市民が巻き添えになった。ヤセルさんは決断をし、外国人スタッフを検問所まで迎えに行く仕事を引き受けた。リスクのある仕事だったが、それがガザにとって大切なことだと思ったからだ。その後も家を失った人々、国外に出られず学校へ避難する人々を運び続け、資料や水や衣服を配る仕事も増やした。

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 ガザ市民に希望はない。どうすることも出来ない。海にも軍がいる。見張られて出て行く先もない。明日の見通しがひとつもないんだよ。私たちは助けが欲しいというのに。

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 パレスチナの民は平和を求めているだけなんだ。自分たちの国にいて、自分たちの自由が欲しい。それだけだよ。どうかガザの外にいる人々に伝えて欲しいんだ。平和のために抗議をしてなぜ撃たれなければならないのか。少しの時間でいいから、どうかどうかガザに生きている私たちのことを考えてください。

「お願いします。そう伝えてくれませんか」

 ヤセルさんの目には涙が浮かんでいるように見えた。

 俺は胸の詰まる思いで、彼の目をしっかり見て答えた。

「必ず日本へ帰ってお話を伝えますから」

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 そこで俺はなぜ自分が生きているのかわかった気がした。彼らの伝言を運ぶためだった。

 40過ぎのある冬、俺は火鉢に凝っていて知らず知らず一酸化炭素中毒になった。夕方から赤ワインも飲んでいたから、どうしてたまたま夜中に目を覚ましたか、いまだに謎だ。いつもなら朝までぐっすり寝ていたのだから。その夜でいえば、死ぬまで。

 俺はベッドからずり落ち、トイレに這って行き、便座に座ってようやく自分がおかしいのに気づいた。妻を呼んだが返事が曖昧だった。自分たちは死にかけているとわかった。

 そこから救急車を呼ぶまでがまさに命がけだった。・・・

 救急隊員は勇敢にも部屋に踏み入った。同時に刑事も入ってきた。心中を疑われたのだとあとで理解した。俺たちは大学病院に運ばれ、別々の部屋に入れられた。

 あの時に死ななかったことが本当に不思議である。いつ考えても奇跡に思える。それ以来、自分の仕事は変わった。儲けものの余った年月だからより好きなことしかしなくなったし、自分のためというより自然に人が喜ぶことが優先になった。面白いものである。

 そしてついにヤセルさんが気づかせてくれたのだ。俺がMSFの取材に血道を上げ、どんな仕事より優先してそれを面白がり、原稿を熱心に書き続けているのは、自分がたまたま命を永らえた存在だからであり、その折に医療機関の方々に世話になったからなのだ。

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 キャンディダ・ローブ、南イタリア出身。

 MSFには2017年から参加し、コミュニケーション・マネージャーを担当。つまり・・・広報である。

 もともと10代後半にジャーナリストを志望したが、じきその道は厳しいと考え、人道援助活動に注力することになった。

「なぜならこの活動は何かを変えることができるから!医療だけでなくて、広報だって証言活動が出来るじゃない?ジャーナリズムが必ずそうとは言えない。普通では会えない人々にも会えるしね」

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 そんな彼女はまず2012年にイタリアのNGOに入り、南スーダンコンゴ、ナイジェリア、セルビアギリシャなどで仕事をして、2週間前から来てみたかったガザにいるのだという。10ヵ月のミッションだ。

「ジャーナリストはニュースを追う。人道主義NGOは声無き人に寄りそう。紛争でも戦争でも災害でも必ずそう。そして私は後者を選んだんだよね」

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「ジャーナリストなら悪い方を悪く言うべきだけど、NGOだとそうもいかない。だってその国から強制的に追い出されてしまう場合があるから。そんなことになったら困るのは患者さんでしょ?だから証言活動も気を遣う。とはいえ完全な中立でいるのは難しいよね。常に政治がからんでくる」

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 最後にキャンディダは、宿舎の屋上に大きくMSFのロゴが描かれているのを示した。

「爆撃を避けるためのしるし。これを見たら攻撃しないように要請してるの。どちらの陣営にも我々の存在は知られているからね」

 ただし、いつどちらが裏切るかはわからない。事実、アフガニスタンやシリア、イエメンでMSFの施設が爆撃されているのを、その場にいる誰もが知っていて沈黙を続けた。