たまたま山極寿一さんの本を続いて読みました。
こちらは小菅正夫さんとの対談です。
P45
山極 人間とゴリラの違い、例えば相撲の力士はぶつかりますね。でも、ゴリラはドラミングをしてもぶつからない。ドラミングは、ぶつからないための〝架空の闘争〟なんですよ。・・・
たしかに若いゴリラは若気の至りというのか、喧嘩してしまうことがありますね。・・・
・・・ある程度年齢がいったシルバーバックになると、負けるわけにはいかないから、戦い合うとお互いに噛み合うわけです。・・・激しくやり合うと死に至るケースもある。
だからメスや子どもたちが仲裁に入るわけですね。そこがゴリラのルール。子どもを背中に乗せたメスや子どもが「まあまあ」と間に入ると、オスたちは戦わずして、一応これで収めておくかと。メスの顔に免じて、子どもたちに免じて喧嘩は止めようとなるわけです。これがゴリラの共存のルールです。だからゴリラには「負けた」という姿勢がない。
・・・最後まで戦わないんですね、ゴリラは勝敗をつけたくないから。・・・ここで重要なことは、両方がメンツを保ちながら引き分けられるということ。だから勝敗をつけなくていいわけですよ。
それと比べて、ニホンザルはそうはいかない。絶対に勝敗をつけないと収まらない。そういう場合、周りのニホンザルはどうするかというと、みんな強い方に付いて助けるわけです。弱い方を助けると、強い方が頑張るから、自分たちも戦わざるを得なくなる。でも弱い方を一緒になってやっつけておけば、弱いのはすぐに逃げなくてはならなくなるわけです。それもあり、ニホンザルというのは、すぐ負けちゃうんですね。
小菅 負け方は上手い。殺されないように負けますもんね。ギャーギャー鳴いたりして。
山極 そうそう。・・・
それを見ると、我々人間は、ちょっと情けない気がするわけです。「あ、こいつらは品がないな」とかね。・・・
でもゴリラは、全然そういうことをやらない。
・・・そもそも負けるという観念、あるいは社会的なルールというものがない。それはつまり、勝つという観念や社会的ルールもないわけですよ。・・・
我々人間は、負けまいとする行為を見て、こいつは勝とうとしていると思ってしまう。でも「負けまいとする姿勢がとても立派だと感じる心」は、「勝とうとする、あるいは勝った者を称賛する心」よりも、強いんじゃないかと。
小菅 そうですね。
山極 これ、微妙に違うんですよ。
小菅 違いますね。
山極 勝つ構えと、負けない構えというのがある。
勝つ構えというのは、パワーで周りを威圧しなくてはいけない。・・・だから勝者は孤独になるわけですね。
・・・
でも、負けまいとする気持ちというのは、相手を押しのけることにならないわけです。相手と同等になるということだから、逆に友達を作ることになる。相手に構えさせない。
それがゴリラなんです。「対等」ということが重要で、いずれかのゴリラが自分の上に立とうとすると、それを抑えようとする。「お前はそんなに飛び出てはいけないよ」と。
これはメスのゴリラでもそうです。京都市動物園のゴリラ、・・・ヒロミはもの凄い負けん気が強いですから、ヒロミより二倍も大きいオスのゴンが力を振るおうとすると、もう食ってかかるわけですね。
ゴンは、たじたじとなって、「う~ん」といって引き下がる。オスとメスでは体力が違うわけだから、ヒロミのことをねじ伏せようと思えば簡単な筈なんだが、それをやらない。それだけ、お互い体の差は違っても、対等であるということを凄く意識している。
・・・
人間がそれを見て、「カッコいい」と思うのは、我々人間の社会もそういう道を歩んできたからだと思うんです。
・・・
でもなかなか、そうはなり切れないところがあって、それが人間の弱味なんですね。〝サル〟にもなっちゃうわけです。