辺境の怪書、歴史の驚書

辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦 (集英社文庫)

 

 高野秀行さんと清水克行さんの二人が、お互いに同じ本を読んで、読後に語り合うという本です。

 こちらは私も以前読んですごく興味深かった「ピダハン」についてのやりとりです。

 ピダハン - シェアタイム

 

P183

高野 今回も僕が選んだ本になっちゃったんですけど、この本に出てくるピダハンという人たちの特異さは、アマゾンの他の先住民や世界の辺境に住むいろいろな少数民族と比べても、際立っていますよね。

 

清水 想像を超えてますね。

 

高野 どう理解していいのか、ちょっと困っちゃいますね。なんでこの人たちは、こんなに違うのか。

 

清水 僕がまずびっくりしたのは、ピダハン語には数の概念がないっていうことですね。それから左右もない。彼らは方角を川の「上流」「下流」で表すんですよね。

 

高野 男性は短パンをはいているし、女性はワンピースみたいなのを着ていて、見かけはわりとふつうなんですけどね。他のアマゾンの民族みたいに体に羽根飾りをつけたりペインティングしたりしない。たぶんそれは儀式がないからでしょう。積極的な呪術もないみたいですね。悪霊除けのネックレスがあるくらいで。つまり、ピダハンには非日常がないんですね。だって神もいないし、神話もないんだから。

 

清水 ハレとケがないんだ、そもそも。

 

高野 森で精霊とは会っているみたいだけど、それもしょっちゅうなんで、非日常とは言えないんだろうし。

 

清水 一年間というサイクルもないんですかね。

 

高野 暦については本に出てきませんけど、ないんでしょうね、きっと。

 

清水 年齢は?

 

高野 だって数がないんだもん(笑)。

 

清水 そうか(笑)。だから親族は「親」「同胞」「息子」「娘」しかなくて、「兄」とか「弟」はないのか。年齢がないと、兄弟姉妹の序列は表しようがないですもんね。

 ・・・

高野 二〇一六年、NHKが『大アマゾン 最後の秘境』というドキュメンタリーシリーズを放送して、その第四集が『最後のイゾラド 森の果て 未知の人々』でしたよね。その中に出てくるイゾラドは文明社会と接触していない人々だから、彼らがすごく特殊な文化をもっていたとしても、それはそれでわからないこともないんです。

 だけど、ピダハンは外界としょっちゅう接触しているんですよね。村に交易船も来るし、ブラジル人の商売人とかからショットガンやマチェーテ(山刀)などの文明の利器も手に入れている。集落の近くには日本人の釣り人までやってくるっていうんですよ。なのに、ピダハンは文化に関しては外の世界のものを受け入れない。

 

清水 自分たちのほうが優れているという意識があるんですよね。

 

高野 そうそう。選民意識みたいなのがある。

 数の概念がないというのはね、僕はちょっと理解できるんですよ。というのも、以前、ブラジルとペルーの国境地帯に暮らす先住民の村に行ったとき、面白いなと思ったんですけど、彼らは一般的なことを言わない人たちだったんですよ。

 

清水 「一般的」って、たとえばどういうことですか?

 

高野 ある家に泊めてもらって、夜、宴会になったんですけど、彼らが動物の鳴きまねをやり始めて。僕が「ジャガーをやってくれ」と言うと、「あー、遠くにジャガーがいる。ウッウッウッ。だんだん近づいてきた、ウォッウォッウォッ。今度は腹を空かしたジャガーだ、グォーグォーグォー、メスを呼んでいるオスもいる、ンーンーンー。子どもも出てきた、ミャーミャーミャー」というふうに、いちいち具体的な場面を設定して鳴き声をまねるんです。・・・彼らの中には「一般的なジャガー」は存在しないんです。それはけっこうびっくりしたんですよ。

 ・・・

清水 ・・・で、そのことと数の概念はどういうふうに……。

 

高野 ピダハンも一般化や抽象化をしないってことですよ。たとえば、ほら、ある種類の魚がいるとして、形や大きさはみんな多少は違うでしょ。なのに、それを一匹、二匹って数えるのはおかしいっていうふうにピダハンは考えるんだと思うんですよ。違うものをなんで一括りにするんだと。

 ・・・

清水 ピダハンの思考には「直接体験の法則」というのがあって、彼らは自分が直接経験したことか、実際に経験した人から直接聞いたことしか話さないんですよね。だから儀式や口承が成り立たない。

 

高野 この本の著者ダニエル・L・エヴェレットは、言語学者プロテスタントの伝道師でもありますけど、布教に苦労してますよね。・・・

 ・・・

 ・・・ピダハンは直接体験しか信じないから、著者がイエスの話をしても、「誰がその男に会ったのか」と返されちゃう(笑)。

 ・・・

清水 ・・・ピダハンにはそもそも御利益という観念も将来に対する不安もない。著者は、今の生活に満ち足りている人々に、あなたたちは迷える羊だとわからせるためには、どうすればいいんだろうって悩んでいますよね。

 

高野 そういうあなたが迷える羊だって(笑)。ピダハンって、ある意味、悟っている人たちですよね。

 

清水 悟ろうとしていないという意味でも悟ってますよね。