この世は連続体

たけしの面白科学者図鑑 人間が一番の神秘だ! (新潮文庫)

 こちらは文化人類学の達人、西江雅之さんのお話、すごく興味深かったです。

 

P271

西江 ・・・動物好きの人には、大きく分ければ三種類いるんですね。一種類はペットを飼う人。もう一種類はバードウォッチングとか、観察したり研究したりすることが好きな人。そして、もう一種類は動物になろうとする人です。・・・僕はその最後の種類に属していて、猫やスズメになって、彼らが生きている世界そのものに近づきたかった。・・・

 ・・・小学校の一年、二年のときでしたか、疎開先から東京に帰ってきたら、家の前を髪の毛の色も日本人と異なる変なおばあさんが毎朝通り過ぎていた。そして、犬を散歩させていて、いつも、うちの玄関先で小便をさせるんです。彼女が「イッヒオッホオッホ」とか、何だかわけがわからない声を出している。ああ、同じ人間でも不思議なのがいるんだなと思ったんです。後から知ったんですけど、ドイツ人のおばあさんで、ドイツ語で犬に話しかけていたんです。そのときに、そのイッヒオッホとか言っている声の背後には、想像もつかない世界が潜んでいるのかなと感じたんです。・・・その後、近所にアメリカ人の宣教師が越してきて、その人の仲よくなりました。その人は英語を話すんです。英語などひとことも知らなかった僕は、その声の背後にも知らない世界が潜んでいるのではないかと思ったんです。その延長線で言語に関心を持ったので、犬や猫の世界を知りたいというのと出発点は同じです(笑)。外国語を学んで人間世界の最新情報を知ろうとか、国際人になろうとか、そんなこととは無縁です。

 

たけし それで大学時代にはすでに何種類もの言語をマスターしていて、その能力を買われて、学生を中心に結成された「アフリカ大陸縦断隊」の渉外役としてスカウトされたそうですね。・・・先生はそれから一人でソマリアの砂漠を徒歩で縦断したとか。お金はどうされたんですか。

 

西江 歩くだけではなくて、ラクダにも乗り、軍隊の斥候兵のジープにも乗りました。もちろん、ささやかながらお金は持っていましたが、そもそもお金を使うような店が一切存在しない。食べ物は砂漠で偶然に出会った遊牧民からもらっていました。

 

たけし ホテル代とかはどうしたんですか。

 

西江 一カ月半以上一人で移動していましたが、その間に軍隊の斥候小屋の床に寝たのが二、三回。あとは地面に寝ていました。もともと僕は犬猫だったものですから、気にしないんです(笑)。

 

たけし 持ち物はいろいろと必要だったでしょう。

 

西江 いや、何も持ってないですよ。今日持ってきた荷物(小さな手提げ袋一つ)ぐらいです。

 

たけし ・・・いつも海外に行くとき、荷物はそんなに少ないんですか。

 

西江 もっと少ない。この半分ぐらいです。着替えも洗面具も持たないです。あまりにも荷物が少ないので空港で搭乗ゲートへ向かうとき、係員から「お見送りの方はこちらです」と注意されたりします(笑)。

 

たけし じゃあ、パンツや下着は毎日洗うんですか。

 

西江 砂漠には、水はないからなあ(笑)。

 

たけし えっ、洗わない。着っぱなしですか。

 

西江 僕の体はうまくできていて、あんまり汚れない。もしかしたら、それほど汗をかかないんですかね。夏でも、着替えも持たないで出かけます。だから、いろんな雑誌に、年に二、三回しか風呂に入らないなんて書かれていますけど、ひと月に二回で、まあ年に二十回ぐらいは入りますよ(笑)。季節の違いでは、夏は暑く、冬は寒い。それを素直に受け入れるんですね。

 

たけし お腹を壊したことはないんですか。

 

西江 ないですね。それには理由があるんです。まず無理をしてその土地の料理を食べない。原形が残っているものを食べる。現地の人が食べていないものでも、これは絶対に食べられるなというものだったら、どんな生き物でも捕まえて食べます。

 

たけし 要するに、生に近い形で具材の原形が残っていて、何だかわかるものならば食べると。

 

西江 もう原物だったら、ネズミでもイモムシでも何でもいい(笑)。

 

たけし 先生はそれで健康状態はずっと何の問題もない。

 

西江 今のところ、何の問題もありません。・・・

 ・・・

たけし そうやっていろんな言語を研究されていますが、世界中で話されている言語って、どのくらいあるんですか。

 

西江 現在話されているのは、大小さまざま六千種類から一万種類です。・・・

 ・・・

 言語を考えるときに重要なのは、「この世は連続体」ということなんです。僕はいつも「この世はのっぺらぼうで、あるのは起伏と明暗だけだ」と言っています。そののっぺらぼうの世界を、人間自らの都合で切り取って見せているだけ。単語がまさにそうです。山を見ていて、誰だって「山の頂上」「山の中腹」「山の下のほう」とか言えます。じゃあ、具体的に山のどの部分から頂上になるのか、どの砂粒の隣から中腹になるのか、そんなことが言える人は一人もいない。人体にしたって、首がわかる、肩がわかると言いますが、じゃあ、どこからが首ですか、肩ですか、正確に線を引けと言われても引けない。全てはつながっているものを、言葉で必要な部分を切り取っているだけなんです。

 

たけし その切り取り方が文化によって違うんだ。

 

西江 そうです。日本人が、手足の指は全部でニ十本という話をしていたとします。そこへ日本語がわからないアメリカ人が来て、「何の話をしているんですか」と尋ねてきたので、「フィンガー(finger)の話をしている」と通訳してあげたら、そのアメリカ人は十本の手の指だけについて話していると思いますよ。だって、英語では足の指はトウ(toe)ですから。また、ある国では両手の指は八本なんです。なぜなら親指は腕の延長で、指ではないと考えているから。親指を指として数えない言語もあるんです。

 

たけし へえ、そうなんだ。

 

西江 日本語で「駅で右手のない人に会った」と言ったら、普通は肩から右腕全部がない人のことを思い浮かべますよね。しかし、英語で「右のハンド(hand)がない人がいる」と言ったら、手首から先がないということです。「右のアーム(arm)がない人」とは違う。だから私は一つの単語を聞いてある意味を知ったときに、その意味の広がりと区切りを探りだすことから調査を始めます。・・・

 もっとも、これはフィールドワークで相手にする言語の表面上の話です。僕が本当に興味を持っているのは、「今、たけしさんがテーブルの上で小指で逆立ちしたままラーメンを食べている」といったような、自分が生まれて初めて口にする文が簡単に作れる。こんな文を初めて聞くたけしさんも、その意味がわかる。それはどうしてだろうということです。さらにまた、日本語とロシア語とでは、音声も単語も文法も異なっていて互いに理解できないほどなのに、同じ内容のことが、どちらの言語でも言える。それはどうしてなのだろう。と、こんなことを考えています。