spring

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 言葉でバレエを鑑賞できてしまうんだ、と驚きつつ、この本の世界を楽しみました。

 こちらは主人公の一人語りで、印象に残ったところです。

 

P386

 まだバレエに出会う前は、子供心にも、何か異様な焦りみたいなものをずっと感じていたことを覚えている。

 あれは、とても苦しかった。苦しい、という感覚を自覚していたわけではなかったが、もやもやした不安がいつも背中に張り付いていて、ここでこんなことをしているわけにはいかない、という焦りが波のように繰り返し押し寄せてくる。その苦しさに耐えるのにいつも必死で、俺は幼児の癖に、既にそのことに疲労困憊していた。

 バレエを始めてからは「いつもニコニコしてる」とか「地顔が笑顔」とか言われるようになったけれど、小さい頃は笑わない子だね、と言われていた。当時は、常にあの焦りと不安でいっぱいだったからだ。

 だから、母に体操クラブに連れていってもらって、きちんと洗練された人間の動きとしての「カタチ」を目にしたインパクトは大きかった。

 僕は、生まれて初めて何かを「見た」ような気がした。

 人間という生き物が、ただ純粋に、動くという目的のため、美しい「カタチ」のためだけに奉仕する姿を。

 あれを自分の身体で再現してみたい。

 これまた、初体験の衝動に突き動かされ、俺はいつのまにか跳んでいた。

 くるりと一回転した。

 着地した刹那、胸の中で、「カチッ」と何かが鳴った。

 あの瞬間を、あの感覚を何と呼べばいいのだろう。

 世界の扉が開かれた、とでもいうような。この世に存在することを許された、とでもいうような。

 とにかく、全身で衝撃を受け止めたのだ。感激と、戦慄と、歓喜と、絶望がない交ぜになった衝撃を。

 あの「カチッ」と、俺はずいぶん長いこと一人で繰り返し反芻していた。とっくに味のなくなったガムを、新しいガムを買ってもらえないので、しつこく未練がましく噛んでいるみたいに。

 あちこちでぴょんと回転しては、あれを追体験しようといていたものの、なかなか同じようにはならなかった。

 初めて「鳴った」のは体操クラブでだったけれど、この先あの場所で同じように「鳴る」ことはないだろう、という直感だけはあった。

 母は、体操クラブの帰りに、俺が「あれじゃない」と言ったことが強く印象に残ったと言うのだが、俺はそのことをあまり覚えていない。

 なにしろ、「カチッ」というあの音だけがずっと俺の身体の中で鳴り続けていて、他に何も聞こえなかったからだ。

 つかさ先生に、あの時あの場所で見つけてもらった僥倖を思うと、今でも震え出しそうになるほど、つくづくありがたい。

 君、どこのバレエ教室で習ってるの?

 あれが初めて「バレエ」という単語を耳にした瞬間だった。

 あの、ドスの利いたちょっとおっかない、咎めるような声。

 輪郭のはっきりした顔も、俺の中にすっと飛び込んできた。

 当時はあまり人の顔を覚えていなかったが、つかさ先生の顔だけは、くっきりと脳裏に残った。

 もし、つかさ先生に出会わず、宙ぶらりんのまま、焦りと不安を抱えて疲弊し、ひたすら学校という場所で息を潜めて暮らす生活が続いていたら。

 あのなんとも言えない苦しみ。あの、虚無感すら漂う疲労感。

 俺はいったいどうなっていたのだろう?

 想像するだに、これまたゾッとして恐怖に震える。

 なまじ、一度あの「カチッ」を体験してしまっていただけに、不安と焦りはより肥大化していた可能性が高い。

 今でこそ、自分は本質的にはマイペースで楽観的な性格だ、と自覚できているが、当時の生真面目さと世界の狭さを思うと、いずれ精神の均衡を崩して、パニックに陥っていたかもしれない。

 しかも、今ならこうして言語化できるけれども、当時の俺は自分が陥っているパニックについて、たぶん誰かにきちんと説明することはできなかっただろう。

 つかさ先生の教室に行った時は、また別の意味で衝撃だった。

 体操クラブでも思ったけれど、あれ以上に、ただただ「美」を表現するためだけの、人間の「カタチ」が厳格にピシリとすべて決められていて、そのことに誰もが真剣に取り組んでいることがショックだったのだ。

 あの「カタチ」を、生涯をかけて追い求める人たちがいる。

 そうするに値するものがこの世に存在している、というだけでも衝撃だったし、なによりそれらの「カタチ」はどれもこれも美しかった。

 次々と目の前に現れる「カタチ」は、みんなピカピカしていて、全てを目に焼きつけたかったし、すぐにでも自分で再現してみたくなった。

 気の遠くなるような時間を掛けて定められた「カタチ」の向こうに、人間の真理みたいなものが見える気がしたのだ。

 そして、その厳格な「カタチ」の先に、明るく開けた、風通しのいい自由な場所がある。

 そんな予感を覚えたことを、今でも鮮明に思い出す。

 ここで生きていける。

 そう確信した時の安堵も、決して俺の中では色褪せることはない。