時間の感覚がないと・・・

辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦 (集英社文庫)

 ピダハンも、ムブティも、そんな風に生きている人々も今、同じ地球にいるんだと思うと、何か広大な感覚になります。

 

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清水 先日たまたま、国文学者の佐竹昭広さんが書かれた『古語雑談』(平凡社ライブラリー)というエッセイ集を読んでいたんです。その中に、中世の日本人が書いた注釈書を紹介するくだりがあって、その書物では「懈怠」と「懶惰」という二つの言葉の意味が説明されているそうなんです。懈怠と懶惰は、強いて訳せばどちらも「怠ける」という意味ですけど、中世では、懈怠は「今日やることを明日やること」、懶惰は「明日やることを今日やること」だったんですって。

 

高野 へえ。明日やることを今日やるのが、なんで怠けることになるんですか。

 

清水 たとえば、夏休みの宿題を七月のうちに全部片づけちゃって、八月はずっと遊んじゃう子どもっていますよね。ああいうのは「勤勉」とは言わないじゃないですか。あれはあれで怠けている。

 

高野 時機を待てないのはよくないっていうのもあるんですかね。たとえば、田んぼの草取りをするタイミングは決まっているのに、前倒しでやるのはよくないとか。

 

清水 そうそう。その日にやるべきことは別にあるはずなのに、それをやらないのはズボラなんだと。抽象的な言い方をすれば、その日その日を充実させていないっていうことですかね。近代はむしろ仕事を前倒しにして次々にこなしていくのが美徳なわけですよね。それに比べて、中世人は必要以上の仕事をやることを良しとしない。そのあたりはピダハンと似ているのかなと思ったんですけど。

 

高野 でも、日本の中世人は今日とか明日という時間は気にしていたわけで、そこは農民的な考え方ですよね。その点、ピダハンは時間の感覚がないじゃないですか。昼夜の区別がほとんどなくて、夜に狩りや漁に行ったりするでしょ。

 

清水 ああ、そうか。

 

高野 なにしろ「おやすみ」の挨拶が、「寝るなよ」ですから(笑)。

 

清水 「ジャングルにいるヘビに気をつけろ」という意味なんですよね。

 ・・・

高野 僕が知っている民族の中だとね、ピダハンは、コンゴ民主共和国の狩猟採集民で昔はピグミーと呼ばれた、ムブティという人たちに、なんだか、ちょっと雰囲気が似てますね。・・・

 なんか、すっごく楽しそうで、四六時中、冗談を言ってゲラゲラ笑っているんですよ。彼らも農業をやっていないから、たぶん暦的な感覚もないと思うし、とにかく幸せそうですよ。

 一度、彼らの狩りについていったとき、たまたま巨大なニシキヘビを見つけたことがあったんです。草むらの中にいるヘビに矢を射ると、当たった矢が立つじゃないですか。ヘビは草に隠れて見えないんだけど、ヘビが動くと、刺さった矢が動くのが見えるわけですよ、何本も。それを見てね、みんな、腹を抱えて笑っている。

 で、そのうち、ヘビが弱ってくると、恐る恐る近づいて頭をポンと叩いてね、ギャーッて言って逃げてくる。それがまたバカうけで、みんなで代わる代わるやって大喜びしてた。

 

清水 小学生みたい(笑)。

 

高野 ピンポンダッシュみたいな。

 

清水 でも、それ、大人が生活の糧を得るために猟としてやっているんですよね。

 

高野 大事な仕事なんですよ。でも遊んでいるようにしか見えない。ピダハンの雰囲気もあんな感じに近いんじゃないかなと思いました。・・・