価値観についてなど

オードリー・タンの思考 IQよりも大切なこと

 著者同様、私も魅了されながら読みました。

 

P272

 オードリーは、私のインタビュー中に「あなたのことを尊重していないわけではありません。お互いの時間を効率よく使うためにこうしますね」と断ってから、私の問いに答える代わりに参考リンクを送ってくれたことがある。こんなにも相手のことを尊重する人が、もし相手から尊重を欠いた行動を取られたらどのように自分の情緒を処理するのだろう。少なくとも私にとってはすごく難しい。

「私だったらまず、その場で物理的な距離を取ります。その後にいつもより何時間か多めに眠ります。そういえば以前、労働基準法についての反対運動が起こっていた頃、私が講演していると、舞台下の学生たちが急に壇上に上がって抗議しようとしたことがありました。私は彼らと距離を取りながら、彼らが読み上げようとした抗議文を『ちょっと見せて』と言って受け取り、代読したことがあります。私が読み上げてしまったので、彼らは抗議を行う意味を失い、どうしていいかわからないといった様子で、一緒に記念撮影をしてその場は終了しました。これも一つの距離の取り方と言えるでしょう」

 とてもイノベーティブな方法ですね、と私が言うと、彼女はこう続けた。

「彼らは、自分たちが卵で私は高い壁側に立つ人間だと思っていたようですが、結果的に私がすぐ彼らの側に行ったので、とても驚いた様子でした」

 お気付きの読者もいるかと思うが、これは2009年2月にイスラエル最高の文学賞エルサレム賞>を受賞した村上春樹が行ったスピーチ「壁と卵―Of Walls and Eggs」を引用したものだ。硬く大きな壁と、それにぶつかって割れる卵があるとしたら、自分は常に卵の側に立つと述べた、素晴らしいスピーチだった。オードリーの教養はいつも、こうした言動の細部に急に現れ、私を魅了する。オードリーと話していると、彼女からいつも高い教養を感じ取ることができる。もちろん、類まれなるIQの高さにより、インプットの速度や記憶力は常人離れしていることはすぐにわかるが、それ以上に、幅広くかつ深く身に付けた知識を自分の中に取り込み、心が豊かであることを感じさせる。人々を魅了するのは、彼女のそういった魅力からだろう。もちろん私もその中の一人であるが、では彼女は、どのようにしてその教養を身に付けてきたのだろうか。

「私は他の人の話を聴くのに時間を費やそうという気持ちがあります。これは練習が必要なことで、生まれながらにこうだったわけではありません。人の話を聴く忍耐力がほしい時には、他の人の話を聴くことに多くの時間を費やすこと。ピアノの練習と同じですね」

 思いがけず、彼女からは「傾聴」についての答えが返ってきた。・・・人の話を傾聴することにより、教養も培われていったという意識があるということだろうか。

 ・・・

 ・・・私自身は、自分と異なる意見があるのは当然のことで、異なる意見があればあるほど良いという考え方の持ち主である。だが、自分の身内だと思っていた人が差別的だったり、他人を攻撃するような発言をしているのを見かけたりすると、どうしたら良いのかわからず、まるで何も見なかったようにスルーしてしまうこともある。

 そのことを話すと、オードリーは「私は、自分と同じような価値観を持った人はこれまでに見たことがないけれど」と笑った。

「私だったら、次にその人と会う時の話題が増えたと受け取ります。自分と異なる意見を持つ人を説得したいとは思いません。私の考え方が、自分の視野によって制限されているように、他の人は私とは違う世界を見ているわけです。これは対話において基礎となる概念ですね。相手には私が見えていないものが見えているかもしれないし、相手の考えのほうが道理にかなっているかもしれない。私は、いつも自分が間違っているかもしれないという感覚を持っています」