横の関係ではなく、神と個人の垂直関係ということ、なるほどと思いました。
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吉村 僕は今でも苦手なんですけど、信号待ちで車を停めていると、子供とかお年寄りとか、脚の悪い人が「お金をください」と寄ってくるんですよ。そういうことをしている人の心情がすごく気の毒で、僕はずっと逃げてたの。でも、うちの息子は彼らのためにちゃんと小銭を持っていて、どんな人にもきちんとあげている。僕が「そんなことをするより、彼らに仕事をするように言ってやりなさい」と話したら、「あれが仕事だから」って。僕はそれを聞いて、あー、仕事なんだ、じゃあ、あげなくちゃいけないな、と思った。
それからはわざわざドアを開けて細かいお金をあげていますけど、見ているとおもしろいですよ。この信号はこの一家のもの、という感じで、車が3列で停まると、お母さん、子供、おじいさんが1台ずつ回って、信号が変わると道ばたに座って、信号が赤になるとまたもらっている。
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曽野 日本の大新聞社は、私が「乞食がいた」と書くと、「乞食は差別用語だから使わないでください」とおっしゃいますけど、乞食はれっきとした仕事なんですよ。そうやって実際に働いているんですから。
吉村 哀れみを見せてお金を取るわけだからビジネスです。乞食にはプライドがあるから、残飯あさりなんか絶対にしません。人からちゃんとお金をもらって、それで食べ物を買うんです。・・・
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僕もだいぶ慣れてきましたが、それでもあげ方が簡単じゃない。自分の財力と、相手のみすぼらしさと演技力に合わせて、適切な額をあげなくてはいけない。向こうの人はすごいんですよ、それをパッと判断する。
曽野 前に話したクウェートの金持ちが、おばさんたちの身につけた金の腕輪の数によって、その人にふさわしい金額をやるように。それが一瞬でわかるような人間判断がなかったら、乞食にお金もやれない。これはもう大変な「人生の読み手」ですね。
吉村 だから、それだけの人生を送っていなくてはいけないわけです。そして、お金をあげながら、「自分に能力があったからではなくて、こういう人たちがいるから自分は楽な生活をしていられるんだ」とムスリム(イスラム教徒)は思うんです。もらう人も「私がここまで貶められているから、あなたは自動車に乗っていられるのよ」と。
曽野 対等ね!考え方が伸び伸びしている。
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吉村 日本人はよく「人間はみんな平等だ」と言うけれど、アラブでそんなことを口にしたら、「おまえさんは神さまなのか?」って聞かれますよ。だって、彼らは神さま以外に人間を平等に扱えないと思っていますから。人間のくせに、何を勘違いしているんだ、と。
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曽野 ・・・聖書には「神は隠れたところにあって隠れたものを見ている」と、はっきり書いてある。たったひと言。すごいですよ。いくら悪いことをしてもいいけれど、どんなに隠れてやっても神さまは見ていると言うの。怖いですよ。
吉村 結局、損するのは自分なんですね。ひとつひとつの行動を神さまが見ていて、最後の審判できっちり精算されるわけですから。本人の問題だから他の人は口を出さない。それは徹底しています。・・・
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曽野 神と個人、神と個人、神と個人という垂直関係なんですね。横の関係ではない。さっきおっしゃった「あなた、みんながやっているんだからいっしょにやりなさいよ」と言うのは、横の水平感覚です。日本人は水平感覚が基本になっているけれど、神のいる人たちにとって横は関係ない。社会や世間が絶賛しても、神に「そんなことはよくない」と思われることもあるし、世の中が悪だと糾弾しても、神は「それは正しい」と言うこともある。それがわからないから、日本人がかくも弱くなったんだと思います。横を見て、どうも今はデモに参加したほうがよさそうだとか、みんなが賛成しているからとりあえず同意しておこうとか。
吉村 アラブでは、他人と「同じだね」と言われたときは軽蔑されているんですよ。自分が他人と違っているのは当たり前。他人と同じなら、その人はいなくてもいい、ってことになるんです。だから、他人といかに違うか、自分自身をうまくアピールしなくてはいけない。もちろん、日本みたいに「あいつは変わっているね」なんて絶対に言いません。
曽野 人それぞれに、だれが何と言おうと、神との関係において自分はどう生きるべきか、という指針があるはずなんですね。・・・