吉本ばななさんとジョン・キムさんの対談本、まえがきに「この本の中の対談はどちらかというと初級者向けで、私とジョン・キムの思想の共通点の概略を示しているにすぎない。ただ、人生を『考える』ことで生き残ってきたふたりの凄みだけは随所に感じられると思う。」と書かれていました。
さらっと読めますが、たしかに印象に残るところが随所にありました。
P30
ジョン ・・・以前、救急車で病院に救急搬送されたことがあって、・・・
これまでは、いつ死んでも悔いがないよう緊張感を持って生きてきたつもりでした。でも死を意識したときに、・・・「ああ、まだいっぱい悔いが残っているな」って。
・・・
・・・無事だったとき、ずっとそばで手を握っていてくれたワイフの大切さに気づかされました。今まで自分が彼女のことを守ってきたつもりでした。でも、私はずっと守られてきていたことに始めて気がついたんです。
そこからはもう一度もらった命を無駄にしないよう、好きな人と好きな場所で過ごすことを心がけるようになりました。そして、絶対に大切なものだけを見極めて、それを先送りにしない人生を送ろうと決意しました。
若いころは、自分の将来の計画が具体的で長期的だったんです。でも、今は半年先のことも考えない。抽象的な方針だけ決めて、あとは好きなときに、好きな場所で、好きな人と、好きなことだけをやるようになりました。
P34
ばなな 母は最期こそ眠るように亡くなりましたが、亡くなる数ヵ月前の苦しかったときに「何とかして」と言ってきて。でも、何もできなかった。
そのとき、「どうしようもないことってあるんだな」と気づいたんです。そうしたら、自分も人に「何とかして」と言えなくなりました。いい意味で線引きができたというか、興味深い体験でした。
ジョン まさに、それができれば人はもっと幸せになれるはずなんです。
つまり「他者からされたことを、自分のこととして置き換える」ということ。他者の気持ちを自分のことのように考えられる人は、相手が嫌なことを絶対にしない。逆に、自分がしてほしいことを相手にするようになるはずですから。
ばなな そうですね。これまでは、何でもしてあげることが優しさだと思っていました。でも、できないことを「できない」と心から思えるという愛情の形もあるとういことを学びました。
P41
ジョン 私は、吉本さんの作品を読んで〝他者への感受性〟というものを感じました。そこで思ったのは「この人が到達したいのは、他者と自分の魂の境界線を消して一体になることではないか」ということです。
他者と自分が一体になれば、相手のためにしていることが自分のためになる。自分のためにしていることも、相手のためになる。それを強く感じました。
P104
ジョン 自分が感じるあらゆる感情には純粋な理由があるわけで、それを全て認識してあげて認めてあげることが大事な気がします。ただ、それを外部に表出する際は、理性がその責任を負うということも必要かなと。感情の表出は理性の選択であり理性の責任であるという認識を持つことで、感情にのまれ、身を滅ぼすことがなくなる気がします。
恋愛でも結婚でも大切なのは、「いかに不完全な相手を無償で愛せるか」なんだと思います。
ばなな なるほど!全てを他者にぶつける必要はないということですね。しかし自分を偽ってはいけないと。
全ての親でさえも、無償ではない……その中で無償を見つけていくのはすばらしいチャレンジですね。そして無意識は制御しようとするとつり上げた魚のようにぴちぴち暴れて制御できなくなるから、深く届くような思索と理解が必要ですね。
ジョン あと、自分の感情への理解を、意識世界の中の感情だけではなく、無意識世界の中に潜む感情まで、拡げられると理想的ですね。
無償の愛のパワーの何がすごいかというと、それを受けた他者の人生が幸せになるのもありますが、惜しみなく喜びとして与えることができた自分に対して無限なる愛情と信頼を抱けるということだと思います。
ばなな それは存在としての「真の親」のようなものですね。自分が自分の親であり、人々の親でもある。
ジョン はい、命はつながっているという感覚。
P121
・・・ばななさんと出会って、学んだことはたくさんあります。中でも私にとってのいちばんの学びは「人間、生きているだけで十分である」ということでした。それが意味するものは、おそらく次のようなことではないでしょうか。
あなたを大切に思う人たちは、あなたが生きていてくれるだけで喜びや感謝を感じる人たちです。だから、無理して人生の目的を探す必要はありません。・・・ただ、いまは生きていてさえくれればよいのです。・・・いまを生きる、それに集中するだけで十分なのです。