色即是空 空即是色

生きるのが楽になる 「覚り」の道の歩き方 「一元」に触れる京都大原三千院の読経CD付

一度、空じて価値転換されてから戻った「色」の世界は、前の「色」の世界とは違うという…あぁそうだなーと思いました。

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堀澤 ・・・仏教では、「存在」を「有」というんだけど、最初の「色」の世界を「実有」といいます。我々が「実際に存在する」と思い込んでいる世界、そういう見方をしている世界ということ。そこでは、自分と他人、善悪や正邪といった二元的な価値観が支配している。
 それが「実はそんなものはない」と空じた後、つまり絶対一元の覚りの世界を体験し、「空」の状態をつかんだあげく、もういっぺん人間としての自分に戻ってくる。その世界は同じ世界のようでいて、もう前の「実有」ではない。「仮有」というんですよ。「自分も相手も、何もかもすべては仮の存在だ」とはっきり知っていながら、人間としての生活をしているわけです。
 それを知らないと、「オレが」「オレが」と我欲に振り回され、執着してしまう。「空」を通ると、執着を離れ、執着を超えることができる。
 もちろん、「色」の世界だから、人間同士の付き合いはあるよ。この世の修行で一番難しいのは人間関係でしょう。・・・
 「実有」だと思って生きているかぎりはね、人とぶつかり合ったり、いろんな不幸を起こしたりする。しかし、それは仕方ないんです。「色の世界」では、ミクロに見れば自分と他者とのトラブルから、マクロに見れば民族や国家間の紛争まで、対立抗争は根本的な動物の生存原則に関わるものだから、一掃することは不可能。つまり、「色」の中に生きているかぎりは必然的に起きてくる「業」というべきものなんだ。だから真の自由を得るためには―自分も苦しみを超え、他者をも幸せにするためには、この「色」という強固な枠を破るしかない。
 だから、「空を通しなさいよ。そしたら、自分だけじゃなくて、世界が変わるよ」ってことをみんなに言わなきゃいけない。それが一元の思想。

阿部 なるほど。いや、ぼくね、いろんな人から話を聞いてきたけど、「色即是空」についていまみたいな説明をしてくれた人はいなかった。
 いったん「空」を感得した後に出てくる「色」は最初の色とは違うんだっていう話、非常に面白いねえ。