ひとり暮らしでも最期まで自宅で

なんとめでたいご臨終

 ひとり暮らしでも在宅ケアをこれほど受けられて、お金もそれほどかからないとは、初めて知りました。

 

P110

 2000年に介護保険制度ができたおかげで、ひとり暮らしでも最期まで家で暮らせるようになりました。・・・

 ・・・

 2010年の春、園部さんの息子さんと娘さんが、小笠原内科に来ました。

「先生、肺がんの父が苦しんでいます。緩和ケア病棟は、あと1~2週間待たないと入れません。ひとり暮らしなので病院に入院するように言ったんですが、頑なに拒否します。心配で、昨夜は僕が父の家に泊まりましたが、酸素を4ℓ吸っているのに苦しんで、一睡もしません。すぐ往診に来てください」

 緊急往診すると、園部さんは呼吸がとても苦しそうでした。

「園部さん、入院したほうがいいよ。お子さんも心配しておられますよ」

「嫌だ。入院したくない。家で診てほしい」

 そこでソル・メドロールやモルヒネの投与をしたり、ゆっくり呼吸するように指導するなど、在宅ホスピス緩和ケアを開始しました。

 すると数日後には息苦しさがなくなり、2週間経った頃には、酸素吸入をやめることができました。

 笑顔が出てきた園部さんと一緒に写真を撮って、プレゼントしたところ、園部さんは写真を見てじっと黙っています。私はこういう時、患者さんが何か言うまでひたすら待ちます。園部さんは、しばらくしてひと言、こう言ったのです。

「我が人生、最高の笑顔である」と。続けて、

「恋をした時、結婚した時、子どもが生まれた時、会社の社長になった時も嬉しかった。でも、がんで死ぬとわかってから、先生方やみんなに支えてもらい、大いなるものに抱かれている我が身、生かされているいのちに気がついた。社長をしている時は、『みんなを食べさせている』というおごりがあった。がんになって死ぬと思った今が、いちばん幸せだし、信じられない。極楽にいるようだ」

 と満面の笑みを浮かべた園部さん。〝死ぬと思ったからこそ、生かされているいのちに気がついた〟という言葉に、私はいのちの重さを感じました。

 こうして笑顔で暮らせるようになったお風呂好きの園部さんは、自宅でたびたび訪問入浴のサービスを受けました。湯船に浸かった時に、ふ~っとひと息つく時の気持ちよさは、本物のお風呂でしか実感できないものですね。

「お風呂から出た後のビールは、今までで最高の味だ」

 末期がんでも大好きなお風呂に入り、ビールを飲んで至福の時間を過ごしていた園部さん。毎日の訪問介護訪問看護、週に一度の訪問診療など、家族も含めて毎日のように誰かが園部さんを訪ねていましたが、在宅ホスピス緩和ケアを開始して2か月後には、体力が落ちて動くことができなくなりました。

 ・・・

「先生、そろそろ死ぬのかな?」

「園部さんが死ぬと思うなら、死ぬかもねぇ」

「そうだよな。でもそもそも初めて往診に来てもらった時、死んでもおかしくなかったんだ。でも、あれから笑顔で生かしてもらって、もう何の悔いもない」

「いやいや、ちょっと待って。園部さんは悔いがないかもしれないけれど、息子さんや娘さんは?父親としての遺言を言ってあげたら?きっと喜ぶよ」

「それもそうだ。これまで生きてこられたのも、今生きていられるのも、息子たちのおかげ。明日の夕方、息子たちを呼んで言うよ」

 翌日の深夜0時、「園部さんが亡くなられました」と訪問看護師から電話が来ました。いつもはご家族から依頼がなければすぐには駆けつけませんが、園部さんがちゃんと遺言を言えたかどうか気になっていた私は、園部さんの家に行きました。そして開口一番、息子さんに尋ねました。

「どうだった?遺言聞いた?」

「聞きましたよ。もうすぐ死ぬっていうのに、6時間もかけて言ったんですよ。親っていうのは、この期に及んで、まだ子どものことを考えているんですね。でも、遺言を話していたので、苦しむ間もなくあの世へ旅立ちました」

 ・・・

「小笠原先生は、『希望死・満足死・納得死』という言葉を僕たちに教えてくれたけれど、親父ほど当てはまる人はいないんじゃないかと思います。予約していた緩和ケア病棟から『部屋が空きましたよ』と電話が来ても、『気持ちいいから家にいる』と何度も断っていたんです」

「そうだったんだねぇ。『家は極楽だ』とおっしゃっていたからね。極楽気分で、お金もかからないなんて、こんなにいいことないよねぇ」

 在宅医療はお金がかかると思われがちですが、実はそうではありません。

 園部さんが亡くなるまでの3か月でかかった自己負担額は、7万428円でした。仮に緩和ケア病棟に入院していた場合は、13万3200円です・・・。

 もちろん、患者さんの条件(病状・住居環境など)やこだわりによって、かかる金額は変わります。

 こだわりがあれば、介護保険の枠を超えることもありますが、小笠原内科の約8割の患者さんはひとり暮らしでも自費負担なく、医療保険介護保険の枠の中で自宅で最期まで暮らしました。1割の患者さんも、亡くなるまでの自費負担額は30万円以下で収まっています。

 これらのことを見ても、「家で最期まで朗らかに過ごすための金額」は、決して高くないことがわかっていただけたと思います。