こちらも夏井いつきさん。
食べ物にまつわる俳句から、姉妹のおしゃべりが続く、楽しい本でした。
P99
ロ 日本の打ち上げで、大勢でビアガーデンやバイキングに行くと、女性が適当に見つくろった食べ物の皿を男性に運んであげるでしょ?「若いのに気が利くね」とか、アメリカじゃ、「好きかどうか聞きもせず、アレルギーや宗教的タブーを確かめもせず、食べ物をいきなり押しつける無礼な女」と言われる。気を利かさず、頼まれるまで何もしないのが無難。
夏 言葉にする文化と、言葉にしない文化。昔からアタシは、亀代さんの手伝いをして、父の飲み会のお客さんの接待でもないけど、言われなくてもビールを運んだり、皿を洗ったり。
ロ 最初から最後まで宴席に居たよね、飽きもせず、飲みもせず。
夏 飲みもせず!酔ったおっちゃんらの話を聞くのが嫌いじゃなかった。仕事の話だけやなくて、釣りの話やら、酒の話、文学談義もあれば、人生も語られよった。旧郵便局の2階に、郵便の外勤のおっちゃんらが集まって、あの村に酒場なんかなかったけん、新年会、忘年会、何かというとあそこで飲み。
ロ 父は郵便配達の人や青年団や学校の先生を引っ張ってきて飲むのが好きやった。集まりだがり屋やった。お姉さんもそれは一緒やね。私は宴会の喧噪を遠く聞きながら寝るのが好きやった。うるさい方がよく眠れた。
夏 アンタはいつの間にか逃げて、母の手伝いや後片付けの時アンタの姿はなかった。
P210
ロ お父さんと囲む食卓といえば、やっぱりお肉だよね。ほら、お父さんが出張から帰って来た時、私へのお土産はお人形で、お姉さんにはお肉(笑)。
夏 あの無口な信太郎さんが「お土産は何がええ?」と聞いてくれる。何か買ってやりたいという父の気持ちがひしひしとわかるから、答えてあげたいんだけど、どんなに考えても牛肉と赤飯と二択しか思いつかん(大笑)。なんでアンタは次から次へと人形だのおもちゃだの、父を喜ばせるおねだりがすらすらと言えるんだろうと、不思議でたまらんかった。
ロ 逆に私は、なんでうちの姉は、リカちゃんで一緒に遊んでくれないの?と子ども心に不審に思った。
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ロ 「父の思い出の食卓」に話を戻しますが、一度だけお父さんと二人で夕飯の買い出しをしたことがあるの。まだ国鉄と言っていた頃の汽車に乗って、宇和島から松山へ二人で差し向いの旅。
私は当時演劇やってたから、お父さんがおもむろに、唐十郎の戯曲を読んだって言い出して、『少女仮面』だったかな?「特権的肉体論とはどんなこと?」みたいな演劇論を、一所懸命語ろうとしてくれた。
夏 そういう人やった。で、何と答えた?
ロ 確か、唐さんの言葉をそのまま借りたんじゃないかな。でも、もしお父さんが今ここにいたら、こんなふうに話したい。
ちょっと長いけど、「白鳥の湖の群舞を踊るダンサーの一羽一羽は、徹底的に個性を消して、全員が完璧に訓練された『白鳥』という概念になる。だから美しい。一羽でも個性を見せたら完璧な『白鳥美』は壊れ、観客はどれか一羽の『あの白鳥』に注目し始める。『あの白鳥』はオデット・オディールというプリマしか演じちゃいけないのに。本来、個々の人間は『特権的肉体』を持っている。人間を演じるということは、完璧な『人間美』を見せることでなく、人間という言葉の意味を演じるのでもなく、一人ひとりが醜くも貧しくも灰色でも『あの白鳥』なのだという劇的真実を、個々の肉体に任せて舞台上で語らせようという試みだと思うよ」と言いたい。
これは俳句をやり出してわかった。季語の意味を俳句にするのではなく、一つひとつの虫や花をよく写生すると、季語が勝手に語り出す。特権的季語論。
夏 語りあげたね。アタシにも同じようなことがあったんよ。
大学の卒論が中世の歌論だったから、その話を夏休みにすると、次のお正月に帰省した時には、父信太郎さんが歌論を読んで勉強してくれとった。一緒に話したい一心で。
ロ そういう人やったね。
その日、お父さんと二人で松山へ着いて、お姉さんの住んでたアパートの1階にあった農協で、夕飯の食材の買い出しをしたの。私がカートを押して、お父さんが刺身とかお肉を選んで、お野菜やお豆腐も買って。なんでお母さんはいなかったのかな?
夏 信太郎さんが通院や入院の間、郵便局の留守を母の亀代さんと叔母の礼子さんが守っとったんよ。
ロ ああ、そうだったの。あの時お父さんはもう食欲が無かった。私は多分その時もまだお父さんが末期がんということを知らなかった。
夏 お父さん自身も知らんかった。希望を持って闘病してくれるように知らせなかった。あんたも顔に出るから、最後まで知らせまい、と亀代さんと話しとった。
ロ 助からないと知りつつ数ヶ月生き抜くのは、あの父の場合、逆に周りに気を遣ってしんどかったと思う。その夜の食卓は、お父さんとお姉さんと私と3人ですき焼き。
夏 関西風のすき焼きとは違う。割り下にお肉も野菜も放り込む牛鍋みたいなん。
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