Be you

農業新時代 ネクストファーマーズの挑戦 (文春新書)

「自分であれ」って、つくづく大事だなと思います。

 

P59

 広島空港から、車で北に向かって約30分。緑豊かな山の合間に田んぼが広がり、『日本昔ばなし』のような景色が広がるところに、・・・スターシェフがこぞって訪れる梶谷農園はあった。・・・国内外の星付きレストランのシェフたちと交流を持つファーマーだ。

 ・・・農園を訪ねた僕を「どうもどうも!」と気さくに迎えてくれた梶谷は、サッカー・ブラジル代表の黄色のユニフォームに短パン姿だった。僕が物書きを始めて15年以上経つが、取材の際にこれほどフランクな雰囲気だった人はほかにいない。

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 スーパースターファーマーのもとには海外からの来客が絶えない。訪ねてくるのは、スターシェフだけではない。例えば香港の投資家は、こんなオファーをしたという。

「君が育てているものを全部売ってくれ」

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 東京農業大学を出て、広島で農家を始めた梶谷の父親は目端が利く人だった。最初はいろいろ作っていたそうだが、途中で天然に生えている草花を採って売る「雑草ビジネス」に可能性を見出し、ハーブ農家に転じた。・・・

 ・・・知り合いのフレンチのシェフから「日本には乾燥ハーブしかない。生のハーブを作って欲しい」とリクエストされたのを機に、父と子の欧州を巡る旅が始まった。

 昼間はハーブの生産者のもとを訪ね、トレンドや栽培方法を学ぶ。そして夜になると、本場の欧州でどんな風にハーブが使われているのかを知るために星付きレストランへ。・・・

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 ・・・梶谷にとって、・・・星付きレストランは退屈な場所だった。それよりも、昼間に出会った農家に興味を抱いた。

「高級レストランに野菜を卸している農家のところに行くんだけど、面白い人ばっかりなんですよ。すっぽんぽんで働いてる人がいたり、父が『土はどんな感じですか?』と聞いたら、食べる?って土を渡してきたり。ずっとマリファナ吸ってるおっさんとか、一時間しか仕事しないであとはずっとサーフィンしてる人もいたな。ほんと楽しかった」

 いつもプレッシャーに晒されている星付きレストランのシェフよりも、そういったレストランの食材を支えているファーマーたちから自由と余裕を感じた梶谷は、1998年、ゲルフ大学の農学部に進学した。

 この大学時代に、梶谷が「人生を変えた」と振り返る出会いがあった。きっかけは父親とのツアーだった。カナダのオンタリオ州に「アイゲンゼンファーム(Eigensinn Farm)」という名の農園レストランがある。・・・敷地内に広大な農場と山があり、野菜を育て、動物や魚を飼育しているこの店のメニューは、高級レストラン=退屈という梶谷のイメージを覆した。

「10コースのメニューがあって、朝から始まるんです。1コース目がレストランで生ガキとシャンパン。次のコースまで山を1時間歩くと、そこでキノコのコースが始まる。次のコースがあるのは、また1時間歩いた先。10時間、山を散歩しながら食べるんです。夕方ぐらいに戻ってきて、たき火が始まって、そこでデザートを食べて終了。ヤバいでしょ。山を歩いていたら森の中でいろんな植物が見えて楽しいし、腹が減って、汗もかいて気持ちいい。このシェフ、マイケルさんっていうんですけど、天才だと思いましたね」

 初めての体験に心を撃ち抜かれた梶谷は、その場でマイケルに問うた。

「あなたみたいになりたいです。どうすればいいですか?」

  すると、マイケルさんは「簡単だよ」と優しく微笑んだ。

「みんなと同じことをやってちゃだめだ。自分でいること。それだけだよ。Be you」

 何を言っているのか、言葉自体はわかっても、意味がわからなかった。それ以来、「Be you」とは何か、梶谷は考え続けることになる。

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 2004年、25歳の梶谷はカナダ唯一にして、当時北米トップクラスと言われていた園芸専門学校ナイアガラ・ボタニカル・ガーデンの3年生になっていた。

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 ・・・梶谷はボタニカル・ガーデンを「世界中からトップクラスの植物オタクが集まる学校」と評する。そのエリートオタクたちと生活し、勉強しているうちに、自分の知識や技術が明らかに高まったことを実感していた。例えば英語だけでなく、ラテン語も身に着けた。植物の名前は各国で異なるため、学校では植物についてラテン語の学術名で表すし、植物の話をする時はラテン語が必須なのだ。

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 ちょうどこの頃、農園を継いでいた梶谷家の次男が経営を離れ、両親も「そろそろ閉めようか」と考えていた時期だった。・・・

 それなら俺がやろうと、2007年、梶谷は帰国した。14歳で日本を離れてから、13年の月日が経っていた。

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 ・・・梶谷はひとりのシェフにサンプルを送った。品川のフレンチ「カンテサンス」のオーナーシェフ、岸田周三だ。・・・

 サンプルを受け取った岸田から、すぐに電話がきた。それは、いかに日本でハーブの仕入れに困ってきたかという話だった。

「フランスにあるような変わったハーブが欲しいのに、ハーブ農家がみんな高齢で僕の言ってることが伝わらない。種まで仕入れて渡すのに、誰も作ってくれない」

 植物の専門知識を学んできた梶谷にとって、新しいハーブを作ることは難しくない。

「僕、できますよ」と答えると岸田は喜び、こう伝えた。

「君みたいな農家を探してたんだ」

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 ・・・岸田からの紹介もあり、名だたる名店が次々と契約。それに比例して、梶谷が育てるハーブの種類も増えていった。・・・「こういうハーブは作れる?」と聞かれると、梶谷は国内外から種を仕入れて育てた。英語、ラテン語に通じた梶谷は世界中の文献から育て方を調べることができる。それが梶谷の大きな強みになった。

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 ほかでは手に入らないハーブを求めて、梶谷農園の取引先には・・・150店が名を連ねる。ウェイティングリストに載るレストランは、300軒を超える。

 なぜ、ここまで圧倒的な支持を得ることができたのか。答えは、梶谷が天才と認めるアイゲンゼンファームのシェフ、マイケルのアドバイス「Be you」にある。「ほかと同じことをするな。〝自分〟であれ」という言葉を実践するように、梶谷は語学力と専門知識を活かして「ハーブハンター」になった。

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 100種類のハーブを育て、日本中のレストランと取引をしていると書くと「忙しそうだな」と思う人も多いだろうが、彼の生活は実にゆったりとしている。

 梶谷が学生時代に出会い、理想としていたユニークなファーマーたちを憶えているだろうか。彼らと同じように、梶谷はなによりも自由を大切にしている。農家は儲からない?農家は休みがない?農家はつらい?そんなステレオタイプのイメージはガラガラと崩れていった。正直に告白すれば、「……転職しようかな」と思ってしまったほどだ。

 週休2日。

 勤務時間は午前5時から11時。

 年商6000万円。

 年収1500万円。

 加えて、・・・年に2回、家族で長期海外旅行に行く。

 梶谷農園には研修生も含めてスタッフが10人いて、梶谷が休んでも仕事が回るようになっている。大事なのはそう、リーダーシップとコミュニケーションだ。

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「ほとんどの人が、同じ土俵で競い合ってるじゃないですか。例えば、トマトの糖度が高い、低いっていうけど、腰抜かすほど美味いトマトって食べたことありますか?日本は島国で珍しい植物がいっぱいあるし、日本の農家はまじめで世界で一番ぐらいの技術を持っています。だから、世界が欲しがるものを作れば売れるんですよ。でも、みんなよくある野菜を作って微妙な差を競ってる。それは本当にもったいないと思います」