働く

14歳で“おっちゃん”と出会ってから、15年考えつづけてやっと見つけた「働く意味」

 知らない世界がまだまだあるなぁと、知ることができてよかったなと思いながら読みました。

 

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 ハブチャリを本格的にスタートした、2012年。・・・

 ・・・ついに、行政との協働も始まった。「新しいことにも寛容な区長さんがいるから」と紹介していただいたのが当時の住吉区長の高橋英樹さん。ホームドアの取り組みに対して、区の駐輪場や区役所にハブチャリのポートを設置すれば自転車対策や東西の交通網の充実に貢献できる点に加えて、区で生活保護を利用していたり、仕事がなかなか見つからずに困ったりしている人への就労支援にもなるとの観点からも評価してくれた。私たちの活動の趣旨を心底理解してくれ、協働を始めることができたのだ。

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 ハブチャリを実施したいと大阪市にお願いに行った2年前は、いわゆるたらい回しにあい、どの人も「いい事業ですね~」とは言ってくれるものの、その後は進展せずに断念し途方に暮れていた。だからこそ、実現に向けてこんなにも熱心に取り組んでくれる職員の皆さんと出会えて、感激しかなかった。

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 机と椅子だけひとまず用意し、早速おっちゃんたちの面談を始めた。住吉区から30人ほど、就職先がなく困っている人を紹介され、その面談をハブチャリ開始までの1週間で終えねばならず、分刻みでおっちゃんが面談にやってきた。男性だけかと思っていたが、シングルマザーの人もいた。基本的に面談で落とすことはせず、働きたいという気持ちさえあれば、雇用することとした。とにもかくにも、面談の数をこなさねばならなかった。

 ようやく、30人の面談と研修が終わり、拠点に立ってもらうこととなった。しかし、いざスタートしてからもトラブルの連続。30人のほとんどが、仕事から長い間離れていたため、誰もテキパキと働くことができない。また、職場では全員が初心者のため、誰かが誰かを育成するということもできないし、私たちも日々の出来事にてんてこまい。

 それに加え、朝7時前に行う拠点セットの受け渡しと、夜7時過ぎに戻ってくるおっちゃんたちの対応。始まってすぐ、長すぎる営業時間を後悔しはじめた。

 シフトを組まなければ、給料を渡さなければ、役所に報告しなければ、ハブチャリのお客さんの対応をしなくては、拠点を拡大しなくては、そして大学の授業にも(もちろん)出席しなければ……と忙しすぎる毎日で、文字通り、心をなくしていった。

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 それでも、数年ぶりに働くおっちゃんたちは、みるみるうちにイキイキしはじめた。

 たとえば、田中さんの場合。

 田中さんはトラックの運転手だったが、勤めていた会社が倒産し、その後、仕事を探すも当時すでに57歳。「女性やったら清掃とか介護の仕事があるけど、男で50代やとなかなか仕事は見つからんかったんや」と言う。そのうち、貯金もなくなり面接に行く費用もなくなって、ついにはホームレスを経験。現在は、住吉区生活保護を利用しながら暮らしている。

 しかし、実際は生活保護を利用してからのほうがしんどかったという。

 団地に住んでいるので、近所の人が1日中家にいる田中さんを不審に思い、生活保護を利用していることがバレてしまったそうだ。それからは家にもいづらくなり、しかし、就職活動をしようにも「履歴書の空白」が目立って、就職先が見つからなかったという。

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 しかしそういった状況でも、役所の生活保護担当者であるケースワーカーからは、早く仕事を見つけてくださいというプレッシャーがかかる。田中さんは、ご近所の噂、仕事が見つからない焦り、ケースワーカーからの圧力、この3つに挟まれ、いつの間にか、外にも出たくない、何もやる気が起きないという軽いうつ状態になっていったそうだ。

 そんなとき、役所からハブチャリの仕事を紹介してもらった田中さんは、二つ返事で手を挙げたという。・・・

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 ・・・家で引きこもりがちだった田中さんにとって、家の外に出ることそのものが大きな意味を持っていた。・・・もともと、世話好きでおしゃべり好きという田中さんは、徐々に他のおっちゃんたちとも話しはじめ、いつの間にかハブチャリの中心人物となった。・・・

 こういった変化が見られたのは、田中さんだけじゃない。

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 おっちゃんたちが働きはじめて1か月が経過した。いよいよ、給料日だ。

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 ・・・あるおっちゃんは、無言で封筒を受け取り、走り去っていった。

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 すると、数分後にそのおっちゃんがカップ麵を3箱抱えて戻ってきたのだ。

 身長が150センチメートルにも満たない小さなおっちゃんが、積み重なったカップ麵の箱で見えなくなっていた。

「これ、わしから事務局に差し入れや」

 私は、この言葉を一生忘れないだろう。

 そのおっちゃんは、3年ほど前から生活保護を利用するようになったのだが、生活は安定したものの、気持ち的には憂鬱だったという。

生活保護は国のお金やから、自分の好きに使うのには抵抗がある。ましてや、人にものを贈るなんて……。でも、(ハブチャリで稼いだ)このお金は自分で稼いだもんやから、自分の好きに使える。だから真っ先に、お世話になった事務局に、自分の好きなもんを差し入れしたかったんや」

 ・・・なんとそのおっちゃんは、この日のためにコンビニに頼んでカップ麵3箱を予約していたという。・・・

 わざわざ予約までしていたのかと驚きながら、むしろそこまでするなら、コンビニじゃなくてもっと安いスーパーとかで買えばいいのにと伝えると、「プレゼントするのに安売りされているものは渡せない」と変に律儀だった。