からだ

わたしをひらくしごと

 体を介して会話する「エイジワークス」

エイジワークス

 というセッションをしている方のお話、印象的でした。

 

P188

―体育大学を出ているくらいだから、もともと運動が得意な子だったんでしょう?体育の成績はいつもよかった?

 まさに。思ったとおりに体が動かせたんです。

・・・

―高校では、陸上部で短距離をやっていたんですよね。

 まわりは筋肉をつけるトレーニングをめっちゃしてたんだけど、僕は体が小さかったし、筋トレに励む気分になれなくて。で、誰よりも速くスタートダッシュしようと思いついたんですよ。その情熱の注ぎ方が尋常じゃなくて、高校3年間はずっとそのことばかりを考えていたくらい。「よーい、ドン!」っていう音に反応してたら遅いってわかったから、じゃあどうしたらいいんだろうって。

―うわあ、おもしろいねえ!

 耳で聞く以外に反応できる方法があるんじゃないかって、どんどん研ぎ澄ませていって。そうすると、「よーい」の姿勢をとっていると、体が広がっていくのを感じるのね。それはいまだったら説明ができるんだけど、要は〝膜〟なの。筋肉や骨だけじゃなくて、体全体は膜でひとつながりになっていて、そのおかげで人は立つことができている。歳をとっても立っていられるように筋肉を鍛えましょう、なんていまだによくいわれてるけど、〝膜〟が僕たちを立たせてくれてるんだよ。それは空間と共鳴し合ってる。だから膜を感じることで、立ちやすくなるんです。

 ・・・

 しかも、そうするのがいちばん速かったの。ほとんどフライングみたいだけど、フライングではない。

 ・・・

―風変わりな高校生だねえ(笑)。でもそれ、当時は誰にも言ってないんでしょう?

 言ってない。まわりの同級生も、小柄で筋肉もない僕がなぜそんなに速いのかがわからない。渾身のスタートダッシュだけで僕、兵庫県で優勝したからね。100メートル走の、後半はめっちゃ遅いんだけど。

 ・・・

―自分自身が体を動かしていたのから、他人の体を見るという方向には、どうシフトしていったんですか?

 大学を卒業して、・・・インストラクターになったのね。市民にいろんなスポーツを教える。・・・3年目に、スポーツジムの配属に変えてもらったの。そこで、よりトレーナー的な、専門的な知識を学び出して。それがたぶんすごくよかったんだね。

 ・・・で、そこには6年くらい勤めて、28歳のときに辞めて、カナダに行くことにして。

 ・・・身体のことを勉強するという名目で。日本でも学べるけど、環境を変えたかったんだろうね。

 ・・・

 勤めてる間に、パーソナルトレーナーとかのアスリート向けのプロの資格もとったんだけど、自分の限界が見えてしまったのよ。僕はこの程度しか人に対してアプローチできないっていうのがわかってしまった。・・・

―じゃあ、カナダでは具体的に何をしたんですか?

 身体に関して僕が体感していたことと、それまで教わってきたことのずれを実感しました。自分自身も、鍛えているのにもかかわらず腰を痛めたりしていて、おかしいなって思ってて。それで、自分の体を変えたかったのね。カナダで出会ったヨガの先生が力ではない体の動かし方をしているのを見て、これだ!って思った。自分が感じていたことを実践している人がいる!って。それで、・・・その先生のところに朝晩、修行みたいに通ったの。

―それこそ、イメージしたとおりにできた?

 そうそう、できるようになってきたわけ。力ではない体の使い方があるっていうのを思い出したっていうのかな。・・・

 帰国後、・・・求められるのはエクササイズなわけだけど、それ以前に呼吸がうまくできない人がいたりして、そういう人にはやり方を教えてた。呼吸がうまく入って体の緊張が抜けると、解放感や安堵で泣いてしまう人もいるんです。・・・

 ・・・

―普通は、というとちょっと語弊があるけれど、たとえばマッサージに行くとして、こちらとしては体をほくしてもらったりして、施術者に任せてしまうことが多いと思います。でもエイジくんは「僕がなんとかするわけじゃない」と言いますよね。

 知らないふりをしているだけで、本当はあなた自身が知っているんでしょう、ということかな。・・・

 ・・・

―エイジくんは「構造ではない」とよく言うじゃない?・・・これは鎖骨です、ここからここまでが上腕骨ですっていうことではないんだよ、と。・・・

 これが正しい姿勢です、みたいなのって限定的でつまらなくない?それよりそのまま見てみようよ。肩甲骨はいったいどこにいようとしてる?骨盤は?って、素朴に感じていくほうがワクワクしませんか?

 ・・・

―その人をよりよくしたいという思いはない?

 結果としてよくなることはもちろんある。でも、そうさせようとしても仕方がないと思ってる。・・・どんな状態でも、いま現在しっかり生きてるじゃないかっていうところ。現在地がわかったら、どうありたいか、どう生きたいかはその人自身が見つけていくべきだと思います。そのときに、身体にはこういう方向性がありますよっていうことまでは伝えられる。・・・何か理由があって、いまあなたの体はそういうバランスで維持できているんですよね。その痛い部分だけを取り除きたいという気持ちもわかるんだけれども、そうしていると都合がいいってことが何かあるはず。逆にいうと、痛みを抱えていることで全体としては都合がいい場合もあるってことです。だから、僕はそこには手を出さず、自身で探ろうとしていくのにつき合う、やりとりする。会話みたいなワークなんです。

 ・・・いまここにある肉体だけで完結してるわけじゃなくて、もっと全体として存在してるから、・・・

 ・・・骨や筋肉、筋膜といった身体のことを素直に見ていくと、どうしたって身体の外の空間、地球、宇宙と、壮大な世界にまで広がっていってしまう。・・・

 自我という自分の精神と、実体としての自分の身体。・・・たいがい自我は体をコントロールしようとしていて、体のほうはそれを許してくれていますよね。・・・

 自分だけじゃなくて、親から、もっと前の世代から受け継いできた思いも、個人の体は引き受けてる。代々続いてきた生命体と、たった数十年生きたくらいの自分が、つねに一緒にいるっていう。こんなややこしいのが同居してるって、ものすごいことですよ。だからこそ、全部クリアに取り除くなんてことはしなくていいっていうか、そんなことできっこないですよね。であれば、いまを楽しめばいい。目の前のことをするしか自分にできることはないんですから。