魂は何を体験したがっているのだろう?

僕は、死なない。 全身末期がんから生還してわかった人生に奇跡を起こすサレンダーの法則

 がんは僕にどんな景色を見せたかったのだろう。

 僕の〝魂の計画〟は何を経験したかったのだろう。

 ということを自分なりに探り、病気には、身体の原因・心の原因・エネルギーの原因・魂の原因の4つがあるのではないかと気づいたと書かれていました。

 ここは、魂の原因について書いてあったところです。

 

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 僕は個人的には、これが一番の原因ではないかと思っている。人は生まれてくる前に、大まかな人生の青写真を描いてくる、と言われている。誰を親として生まれるか、誰と出会い、別れ、誰と結婚するかなど大雑把な計画を立てて生まれてくるらしい。

 僕の場合、肺がんのしかもステージ4などという劇的な出来事は、この青写真、つまり魂の計画で予定されていたイベントだと考えられる。

 身体や心、エネルギーなどの原因はあるかもしれないが、魂の計画に沿ったものでなければイベントとして実際には起こらないと思う。なぜなら、僕よりも遥かに厳しい環境や状況で生きてきた人たちが全員がんになっているわけではないから。そういう人たちから見れば、僕なんて甘く恵まれた環境でぬくぬく育ってきた人間にしかすぎないと思う。

 ではなぜ僕なのか?それは僕の魂の計画だったから、というのが僕的には一番納得のいく理由だ。

 魂には〝よい〟〝悪い〟の判断はない。判断するのは生まれてから発達する自我(エゴ)。魂は死なない。だから魂にとって〝死〟は避けるべきものではない。魂は〝死〟をも含め、ただひたすらたくさんのことを、多くのことを、珍しいことを、面白そうなことを体験したいだけなんだと思う。

 僕の魂は今回「肺がんステージ4体験」をしたかったのだろう。幸いなことにサレンダー(明け渡し)が起こった後、「ああ、治るな」と深いところからメッセージが湧いてきた。つまり僕は今回の生で「肺がんで死にそうになるけど、ギリギリで生還する」という体験をすることを青写真に描いてきたのだと思う。

 自分の目の前に起こっていることが受け入れがたい事実であればあるほど、魂の視点で意味づけを行うと不思議と落ち着く。

「この出来事で、魂は何を体験したがっているのだろうか?」

「この体験で、魂はどんな経験値を積もうとしているのか?」

 意味づけができると、その状況にのみ込まれずに客観視することが可能になる。

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『夜と霧』で有名な心理学者ヴィクトール・フランクル博士が提唱していたロゴセラピーは「意味づけ療法」と言われているが、この意味づけを魂の視点で行うことで、より高い視点での意味づけが行えると、僕は思う。

 魂というものが本当にあるかはわからない。・・・でもそういった視点を一つ持つことで、自分の状況や感情などを客観視して俯瞰できるのであれば、充分に意味があることだと思う。

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 ・・・病気というのは、ある意味で目覚まし時計だと思う。今までの慌ただしく流される毎日をちょっと立ち止まって振り返りなさい、生き方が間違っているよ、と言っているような気がする。

 そのときに心に浮かんできたこと、それは身体かもしれない、心かもしれない、エネルギーかもしれない、魂かもしれない、どれかはわからないけれど、ふと浮かんでくるものが、病気が伝えたいメッセージなのではないだろうか。

 しかし辛く苦しい体験をしても、それを振り返り、意味を探り、自分の腹に落とし込むという作業をしないと、ただの病気の犠牲者になってしまう。それではせっかくの苦しい体験がもったいないと思う。

 これは病気に限ったことではなく、全ての体験に言えることだと思う。

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 人生に失敗はない、全てが経験なんだから。