地球暦

わたしをひらくしごと

 地球暦を考案した杉山開知さんのお話も興味深かったです。

 地球暦 - Helio Compass

 

P98

―職業を訊かれたら普段、なんと答えていますか?

 その質問がいちばん困る(笑)。建前的には、自営業とか、自由業とか。作家って言ってみるときもあります。

―職業といえるかどうかは別として、私が思う杉山開知とは「考える人」。名前どおり〝知〟を〝開〟くイメージです。・・・

 ・・・

―地元の高校を卒業して、音楽の専門学校に入学するために上京したんですよね。

 まあ、いわばドロップアウトして音楽の専門学校に行ったわけです。だけど、・・・僕は自分が思う何かにはなれなかった。・・・で、卒業後も就職せず、ずっとやってたピザ屋のバイトをそのまま続けていました。

―「ドミノ・ピザ」でしたっけ?

 そう。何をするにもすごい分厚いマニュアルがあって、その膨大な仕組みを覚えるのにすごく興味があって。・・・とにかくマニュアルがすごくて、特殊部隊みたいにトレーニングさせられるの。配達のバイクも適当に走るんじゃなくて、どこでブレーキを踏んで、どこでウィンカーをつけるかまで、細かく全部決まってる。

―へえ!当時は「注文から30分以内でお届け」という謳い文句がセンセーショナルで、宅配ピザの花盛りでしたよね。

 なかでもいちばん大変だったのが、年末年始の銀座の、御用納めが重なるとき。電話は鳴りっぱなしで、とてつもない量のオーダーが入るわけ。で、銀座店に全国から精鋭が集められるんです。

―その日、開知くんも助っ人に入ったんですね。

 バイク40~50台集めてきて、大量のチーズを確保するために保冷庫まで借りてきて。1秒1秒のオペレーションが命がけみたいな状態。配達に出たバイクがモニターに出ていて、何時何分に誰がどこを走っているかがわかる。いまみたいにGPSはないから、オペレーターが地図も番地もルートもすべて暗記していて、配達から帰ってくる時刻を予測して逆算して、次の配達を組む。まるでF1のピットインみたいに。・・・

 ・・・チーズを1回できっちり56グラム撒くために、みんなで朝練やってたからね。ストップウォッチ持って「プレッシャー、プレッシャー、プレッシャー!ゴー!!ウィ・キャン・ドゥ!!!」って(笑)。

―まだ完全に再現して言えるし(笑)。

 で、その日の銀座店は、「ドミノ・ピザ」史上で最も売れた店舗になったんです。

―しかも世界で、ですよね。

 そう。ワールドレコードを樹立して、やったー!!って。・・・それでまた自分の店舗の日常業務に戻って、ふと……この先、これ以上、どれだけのピザを焼いたらゴールにたどり着くんだろう、と(笑)。

 ・・・

 それで結局、ドミノは辞めてしまった。やることがなくなっちゃったから、海外に行ってみようかなと思って、2~3ヶ月間だったかな、タイ、バリ、オランダ、ドイツ、フランスをひとりで放浪したんです。・・・

 でも結局、やりたいことなんて全然見つからなかった。・・・

 ・・・

 じつはその少し前に親父が亡くなっていて、形見のノートパソコンを僕がもらっていたんです。・・・

 ・・・そしたら、そこには・・・将来の道筋みたいなことがびっしりと書かれていた。独立して会社を興したいとか、孫ができたら家を建てたいとか。明日死ぬかもしれないのに絶対にこれをやりたいっていう親父と、時間があり余っているのにやることのない自分との、大きなギャップ。それを感じた瞬間、実家に戻ろうと決めました。

 それで、大黒柱を失って荒れ放題のままになっていた、うちの畑や山に手を入れ始めたんです。・・・

 作業していて、夕方になると街の明かりが灯るじゃない?そこに新幹線がビャーッと通っていく。そんな風景を見ながら、世の中が動いているアルゴリズムと、自然のなかのライブリズムの対比を感じずにはいられなかった。だって、時間を気にしているのは人間だけですよね。生きるってなんなんだろうなあ、仕事ってなんなんだろうなあとか、そこですごい考えちゃったんですね。

 ・・・

 そのころ、1年を13ヶ月と考える「13の月の暦」を教えてもらって。それまでは西暦しか知らなかったから、違うカレンダーパターン=時間の計り方が存在するっていうこと自体が僕にとってすごいセンセーショナルなことだったの。・・・

 ・・・

 それから、メキシコに行ったんだよね。「13の月の暦」の起源は、古代マヤ暦にあるから。・・・

 ・・・

 その、マヤの人たちの時間に対する考え方が凝縮して描かれているピラミッドの設計図を見せてもらって、衝撃を受けて。お願いして、書き写させてもらったんです、写経みたいに。帰国の日を延ばして、1週間くらいかかったかなあ。

 ・・・それから3年間は、寝ても覚めてもピラミッドのことばかり考えていましたね。

 その間にメキシコの長老にも何度か会いにいったりしつつ、自分なりにマヤ暦の理解を深めていって。それで、壁かけタイプのマヤ暦を100部ほど、手描きで自作したんです。マヤ暦はものすごいものだと思っていたから、それを人に伝えたくて、友だちにあげたりして。でもね、僕の情熱だけじゃ、なかなか伝わらない。

 ・・・

 こういったものは、みんなが同じものの見方をしていないと理解されにくいんだな、と。であればまず、地球が太陽系を365日で1周して、月のめぐりがあって、というみんながわかる前提を提示することが必要だろうって。それで2007年の秋から冬にかけて「地球暦」というのを考え始めたんです。

 ・・・

―とにかく対象にとことん没入してしまうんですね。ものすごい凝り性というか。

 僕はひとつを集中してやりたいタイプだと思う。誰に頼まれているわけでもないんだけどね。それに、ひとりになることもすごく重要。必要なときは、鍵もかけて、ケータイも切って、ブレーカーも全部落として。自分の気配も消したいから。

―自分の気配さえ邪魔なんだ!

 すごく繊細な作業をするときって、まわりの環境も自分の心のなかも、ざわざわしてたらできないじゃない?俺がやってやろうっていう気持ちでも、できない。自分の実存的な部分を消すようにするというか。とくに地球暦は〝地図〟だから、自分を極力消す必要があるのかも。仏師のイメージに近いかもしれない。