自分に正直にいたいなと思います。
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今から15年前、私はカツラをかぶっていることを世間に公表しました。
漫談のCDが爆発的に売れて、にわかに注目を浴びるようになった頃です。
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隠すつもりはなかった、といえば嘘になります。
しかし実のところ、伍代夏子さんの歌謡ショーの司会を務めていたときから、カツラをとって笑いを取るというネタをやっていたのです。だからバレるのは時間の問題だと思っていました。
あえて自分から公表したのは、いたずらに噂が大きくなる前に、正直に告白してしまったほうが気が楽だと思ったからです。
私は、嘘がつけないタチなのです。
とっさに誤魔化すことはできても、ずっと隠し通すなんて器用なマネはできません。
サラリーマン川柳の盗作疑惑が持ち上がったときも、すぐに自分の非を認めました。
演芸の世界では、新聞や雑誌に書かれている記事から小噺のネタを集めるというのは、当たり前に行われていることです。
それと同じ感覚で、サラリーマン川柳の作品をいくつか無断で拝借してしまったのが不味かった。匿名の川柳だったので、著作権には触れないとカン違いしていたのです。
完全に、私の無知でした。
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それで急きょ謝罪会見を開き「本当に申し訳ありません。あとは気の済むまで、煮るなり焼くなり好きにしてください」と、正直に謝りました。
すると、どうでしょうか。
会見に集まったマスコミのほうが、面食らった顔をしていました。どんな言い訳をするのか聞きにきたのに、あっさり認めたものだから、拍子抜けしてしまったのでしょう。
さらには、私の謝罪会見の様子を見て、「政治家も見習え」と書く新聞まで現れた。おかげで、漫談のCDが、それからプラス30万枚も売れてしまったのです。
過ちを犯したのに、謝り方一つで人生がむしろ好転するだなんて、本当に何が起こるかわかりません。
・・・自分に都合の悪いことがあると、つい頭の中で〝なかったこと〟にしてしまいたくなる。
でも、実際に起こったことは消せません。
だから嘘をついてごまかせば、必ずどこかにしわ寄せがくるようになっている。そうしないと、この世の辻褄が合わなくなってしまいます。
幸せも不幸も、お金と同じように、人の間を順番に巡っているのだと、私は思います。
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自分は人に何が与えられるのか。
与えた後、なお自分には何が残るのか。
終活とは、そのように〝自分の存在を形づくるもの〟について、考えを巡らせることなのかもしれません。
そう考えると、これまでこだわってきた見栄やプライド、お金なんてものが、まるで意味のないものに思えてきます。
誰しも、死ぬときは嘘をつけません。
どんなに取り繕ったって、最期はなすがまま、されるがままです。
だから、いかに執着を脱ぎ捨てられるか。
気持ちよく旅立つためには、それが大切になるのではないでしょうか。
執着しているということは、自分以外のもの、身にそぐわないものを、無理やりつなぎとめているということです。人であれ、お金であれ、少しでも自分の元に集まるように、生きている間は必死になっている。
でも、どれだけ頑張っても、結局はすべて離れていくんですね。
それは自分本来のものではありませんから。
そうして最期に残るのは、むき出しの自分です。
そこに辿り着くまでに、自分を飾り立てるものは捨て、大切なものほど人に与える。そうやって、身軽に、正直になっていくことが、幸福な最期に結びつくのではないかと思うのです。