こちらは巻末の、俵万智さんの文章です。
P114
谷川さんは、ご自身のことをデタッチメントの人だと言う。とはいえ、なんでもかんでも遠ざけるということではない。お話していて感じるのは、そのデタッチメントは「ほんとうにアタッチするのに値するのか?」という誠実で用心深い問いから生まれているということだ。
人に対してだけでなく、言葉に対しても、谷川さんの誠実で用心深い問いを、強く感じる。
「言葉で詩は書けるのか?」
谷川さんが書けなかったら全人類が詩をあきらめなくてはならないし、谷川さん限定で「書ける」という答えがあってもいい。そういう人が、七十年以上書き続けてきてなお問うているのだ。凄みさえ感じる。
本書の中で、できあがった詩集を谷川さんは「商品」と呼んだ。めっちゃカッコいい。お金のことを言うのははしたない、まして芸術に関わることで、という風潮はどこからきたのか知らないが、お金程度の目安を越えなくてどうする、という軽やかさと重さが「商品」だろう。お金になることは、もちろん最終目標ではなく、最低ラインなのだ。質問コーナーで私は、著作権などと無粋な語を持ちだしてしまったが、「ほんとはタダでいい」という本音を引き出せたことは、思いがけない手柄だったかもしれない。
谷川さんとは対照的に、どちらかというと私は、無防備なアタッチメントで生きてきた。その割に一回も結婚したことがなく、そのことに驚く谷川さんは三回結婚されているのだから、まあデタッチもアタッチも流動的な分類ではあるだろう。
以前、ある女優さんと対談したことを、彼女とも面識のある野田秀樹さんに話したら、即座に言われたことを思い出す。「あーその対談は面白くないね」。理由は「人としてのタイプが同じだから」。その意味では、本書の対談はかなり面白いはずである。そして、この豊かで貴重な時間を通して、私は一つ確信することができた。
谷川俊太郎は「言葉は疑うに値する」ということを信じている、と。