ショローの女

ショローの女 (中公文庫 い 110-8)

 詩人の伊藤比呂美さんのエッセイ、こんなにちゃんと体当たりで生きるって、すごいなと思いながら読みました。

 

P46

 この頃考えていたのだった、「日本に来てから食生活が貧しい。カリフォルニアにいたときのほうが、あたしはいいもの食べていたんじゃないか」と。

 しかし出会う人出会う人、あたりまえの事実のように、答えはわかってるから答えなくてもいいとでも言うように、あたしに聞いてくる。

「日本の方が食べ物がおいしいでしょう?」

 日本の人に聞かれ、(こないだまでのあたしみたいな)海外在住者にも聞かれ、そのたびに返事に困る。まずいものを食べているとは言えないが、おいしくはない。・・・人々の考えることと、あたしの現実とのギャップが、ほんとうに不可解だった。

 その真相が、今わかった。あたしはカリフォルニアで、出来合いのものを買わなかった。何もかも自分で作っていた。ギョウザも、麻婆豆腐も、パスタソースも、ドレッシングも。

 理由は、外の味が口に合わなかったからだ。アメリカ製の冷凍食品も、アメリカのスーパーのお惣菜も、ファストフードも。

 いやいや、カリフォルニアの町中ですから、近所でなんでも手に入った。それはもう日本以上に。料理なんかする必要ないくらいに。でも味付けが、日本の味よりちょっと塩っぱい。ちょっと甘い。ちょっと酸っぱくて、ちょっと油っこい。それで、「あ、イヤ、あ、食べられない」と思い、それがたび重なると「放っといて」と思った。

 ・・・

 ところが日本に来てみれば、そういうことはない。

 食べる前に、味の想像がついた。食べてみたら、いつもおいしかった。まずくはなかった。「あ、イヤ」なんて感じなかった。冷凍食品も、スーパーのお惣菜も、コンビニの弁当も、おにぎりも、サンドイッチも。日本のコンビニで食べ物を買うという行為そのものもとても楽しかった。「こんなものがある、こんなものも」と何度もカリフォルニアの娘たちや友人たちに報告したものだ。それで買い続け、食べ続けた。

 そんな生活を九か月。そして今あたしは、知らず知らずのうちに、目に見えない保存料や添加物にとっ捕まってしまったような気がする。・・・

 ・・・

 数日前、あたしはふと、料理してみるかと思った。

 できないわけじゃない。あれだけやっていたのだ。ただ今まで、なにか、何だろう、心の釘みたいなものが、どこかに刺さっていて(まだ刺さっている)、動きを止めていただけだ。

 最初に考えたのが、白和え。和食好きのカノコやサラ子が家にいた頃はよく作った。二人が家を出ていった後、残った夫とトメは、日本食といえばスシやからあげで、こういった地味なものは作らなくなった。あれが食べたい、あれを作ろうと考えた。

 とうふ・ほうれんそう・にんじん・こんにゃく・ごま・砂糖・塩・しょうゆ数滴。

 大きなすり鉢を棚からおろして、もう何年もそこにあったからすっかりホコリまみれになっていて、洗い立て、よく拭いて、ごまをよくすり、水切りしたとうふ、砂糖、塩、しょうゆ数滴、すりすりして。それからまな板を出して、それもふだん使ってなかったから洗い立て、大きな包丁も出して、具を切り、ゆでて、下味をつけて、すりすりした豆腐に混ぜた。この頃は既製品に染みこんでいる味にもうんざりしているから、化学調味料も添加物もなんにも入れない。人にはちょっと食べさせられないような、とんがった味の白和えが、大鉢いっぱいできた。あたしんちの白和えだったし、あたしの白和えだった。

 スーパーのお惣菜売り場の白和えなら三千円分くらいある。主食がわりにばくばく食べても三日はかかる。どうすんだ、こんなに……と今は途方に暮れている。

 

P248

 詩を書くというのは、夢を見るようなものだと思う。昔、父が死んだ後、あたしはずっと、なぜ(あんなに好きだった)父を捨てアメリカに行っちゃったんだろうと考えていた。そしたら毎晩、夢を見た。

 夢だから荒唐無稽だったし、毎晩違う夢ではあたけど、なんとなく何かがつながっているのがわかった。なぜ父を捨てアメリカに行っちゃったんだろうと、夢を見ながら考えているのがわかった。そして、あるとき理解したのだ。「なぜ捨てたのか」。理由があった。心のど真ん中で固まって、なかなかほどけない理由だった。

 詩を書くというのは、眠らないでそういうところにたどり着く作業だと思う。自分が今の今、直面していることを書く。自分の抱えている問題。自分が見ているもの。相手にわからせるように書かなくていい。わからないところは読者が想像してくれる。小説やエッセイと違って、詩は自由だ。

 あたしはこうやって詩を書いてきたのだった。体。心。セックス。母。他人。そして自分。おとなになってから書いたのは、子を産むこと、育てること。自分を見失ったこと、家族が死んでいくこと。そして自分。

 わからないこと怖いことを一切合切詩の中に落とし込んで、少しずつ先に進んでいったんだと思う。あたしはそれを学生たちに勧めてたのだった。学生たちはそれを忠実にくり返し、前に進んでいったのだった。

 おすすめします。比呂美式人生の難問解決法。あたしは詩のプロだから、詩の上での技巧は凝らしたけれども、プロじゃない読者のみなさんには、もっとまっすぐな書き方がある。そしてそれはプロが詩を書く書き方より、もっと、夢を見ることに近い。