考え方や行動が素晴らしいなと、驚きました。
お母さんの強さにもびっくりです。
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最終的に校長室に集められた。
・・・
校長先生は、6年生に声を荒らげて言う。
「お前ら!いじめは最低やぞ!」
すると、堤は校長先生に言う。
「だってこいつ朝鮮人なんやで!母さんが朝鮮人は敵やから成敗しなあかんって言うてたし、やれる前にやらなあかんやん!」
耳を塞ぎたくなるような言い草が続く。
堤の話だけではなく、クラスでも似たような理由を言われた。「クラスに朝鮮の人がいる」と親に言うと、一部の親が「朝鮮人とは喋るな」「朝鮮人とは遊ぶな」「朝鮮人とは関わるな」と指図したり、中には「病気が移るから近づくな」「朝鮮人は日本人の敵やからやっつけろ」とたきつける過激な親もいたということだった。
この時、あることを思い出していた。
小学1年生の運動会の「こんなところで負けてたら、わしらはこれからの日本社会で生きていけへんのや!」というおばあちゃんの発言だ。
この時、初めて分かった。
『自分は周りの人と同じ人間じゃないんや』と。
『もうこれ以上、辛い思いをしたくない。十分頑張った。死のう……』
そんな時だった。
ガチャ、バーン!
学校からの連絡を受けて、おかんが校長室に登場した。
「こんちわ~!!!」
派手な登場シーンだった。
おかんは校長先生のほうに向かって歩いていく。校長先生の机に軽く乗り出して、目は睨みつけながらも、少し微笑みながら言う。
「なんかあったん⁉」
校長先生はおかんの勢いに圧倒された様子だったが、一部始終を説明した。聞き終わるとおかんは大笑いしながら言う。
「ハッハッハ。それは景気のええ話やな!」
おかんと校長先生のやりとりが少し面白かったので、僕は笑いを堪えながらその光景を観察していた。
『オモニは堤たちに何て言うんやろ?』と注目していると、おかんは校長先生に言う。
「ところでさ、なんでいじめってやったらあかんの?」
僕を含め、堤たちや校長先生も驚きの表情を浮かべた。おかんは続ける。
「あんた、ほんまにいじめなくなると思ってんの?」
校長先生は怒り気味に言う。
「いや、あなたのお子さんがいじめに遭ってるんですよ!そもそもいじめというのは最低の行為で……」
校長先生が話している最中におかんは割り込んだ。
「黙れ!子どもにとってあんなおもろいもん、なくなるわけないやろ!」
それを聞いた校長室にいる全員が凍りついた。校長先生は少し間を置いて怒りながら言う。
「今の何なんですか!問題発言ですよ!」
おかんは動じることなく言い返す。
「わしな、なんでこの学校でいじめがなくならへんのか知ってるんやけど教えたろか?」
僕は、おかんが何を言うのか注目した。
「それはな、この学校で、子どもたちにとっていじめよりおもろいもんがないからや!お前、学校のトップやったら子どもたちにいじめよりおもろいもん教えたれ!じゃ、わし帰るわ」
そう言っておかんは校長室を後にしようとした。部屋を出る前に堤たちに言う。
「素敵な夢持ってる子はな、いじめなんてせえへんねん。お前らのやってることはただの弱いもんいじめや。強さを自慢したかったらルールのある世界で勝負せえ!」
胸に刺さる衝撃的で魅力的な言葉だった。
帰り道。おかんが言う。
「わしらはな、朝鮮人でおまけに母子家庭や。あんたは朝鮮人であることをマイナスやと思ってるかもしれんけど、むしろプラスなんや。周りにハンデあげてると思えばええねん」
おかんはさらに続けた。
「朝鮮人とか母子家庭とかで今まで散々ナメられてきたけど、わしは絶対負けへんで。でもな、お前に母親以上のことはできても、父親以上のことはできひんねん。そやからお前は父親がいいひん分、頑張らなあかん。やから一緒に頑張ろな」
夫の死をきっかけに、おかんは僕を残してウトロから出て行ったことは先述したが、当時はシングルマザーに対してまだまだ厳しい目が向けられる時代でもあったので、父方の一族で唯一の男である僕を連れてウトロから出ることを、特におばあちゃんは許さなかった。「女が1人で子育てできるわけがない」「女の稼ぎだけで生きていけるほど世の中そんなに甘くない」と現実を突きつけられたのだ。ただおかんもさすがで、「この子が小学生になるまでに経済的に自立できたらそちらが諦めてほしい」と強く直談判し、おかんは1人でウトロを去った直後、京都・祇園のクラブで働き始め、同伴もアフターもせずに1年ほどでナンバー1になり、26歳という若さで祇園に自分のクラブを開いた。元々女性の自立を目指していたこともあり、お店のルール自体が同伴・アフター禁止にもかかわらずお店は大繫盛した。
ある日「迎えに来たで!これから一緒に住めんねんで!」と、当時はよく分かっていなかったが、おかんの本当に嬉しそうな表情と眼差しは強烈に覚えている。
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2012年。京都・大久保のイオン前で、ヘイトスピーチのデモ行進が行われるという情報をキャッチし、1度この目で実際に見てみようと思い立って友人と現場に向かった。
早く到着したので、イオンのフードコートで友人と食事をしながら雑談していると、後ろの席から「朝鮮人」というワードが聞こえた。
振り向くと、分かりやすく旭日旗をリュックに突っ込んでいる青年が2人いた。
この青年に興味を持ったので、了解も得ずに青年の隣にドンと座って強めに問いかけた。
「俺、朝鮮人なんやけど、お前らの目的って何なん?」
さっきまで楽しそうに話していた2人の会話はピタッと止まった。ここから口喧嘩にでも発展するかと思いきや、青年の1人、池本(仮名)が言う。
「いや~、実は朝鮮人とかそういうのってあんまりよく分かってなくて、終わった後にみんなで飲みに行ったりするのが楽しくて参加してるんですよね」
耳を疑った。そんな理由で?
あまりにも呆れて彼らに言う。
「お前ら友達おらんのやろ。そんなんやったら俺と友達になって、今度一緒に飲みに行こうや。そんなしょうもない集まりの後に行く飲み会とは比べもんにならんくらいおもろい飲み会を段取りするから」
2人は戸惑っていたが、何か通じるものがあったのか、その場で連絡先を交換し、結局その日の夜に飲み会を開いた。
ここまで来たからにはとことんと思い、韓国人が経営する韓国料理店を予約し、在日コリアン、ネイティブ韓国人、日本人の7人を集め、出会った池本と三島(仮名)の計10人で飲み会をした。
食べたことがないというキムチや、飲んだことがないというマッコリをパワハラ同然に教え、結局4軒もハシゴをした。
三島はヘロヘロになりながら、「今日が人生で一番楽しいっす」と言った。
それが本当に一番なのか、社交辞令なのかは分からないが、誰だって、自分のルーツに関する食文化などを気に入ってもらえて悪い気はしないだろう。とにかく「楽しい」と言ってくれて僕も嬉しかった。幸せな気分だった。
池本は言う。
「普段はネットで共通の趣味について語ったりしてるんですが、会社でむかつくことがあったりすると、ネットで朝鮮人や障害者の悪口を書いて盛り上がったりしてました」
三島は言う。
「ネットが居場所みたいになってて、たまにストレス発散できる場所を求めてゲーセン行ったりしてたんですけど、そんな感覚でデモにも参加してました」
彼らの話をひたすらじっくり聞いた。
彼らが言う、友達がいないだとか、居場所がないだとか、楽しいことがないだとか、そういった寂しさのはけ口をネットに求め、特定の民族や障害者に対する誹謗中傷で盛り上がったり、実際にヘイトスピーチのデモに参加して、ストレス発散することは、行動はもちろん否定するが、辛い気持ちを理解できなくはない。
僕だって、逆の立場であれば同じ気持ちになるかもしれないからだ。
そういった人たちが、自分の持っている素晴らしいパワーを社会のために最大限に活かせる環境作りが、今の時代には大事なんじゃないかなと思う。
それからというもの、彼らは「今日は韓国料理店に行きました」「今日行った店のホルモン美味いです」「このメーカーのマッコリ美味いです」「K-POP最高!」など、変わるにもほどがあるが、「あなたが人生を変えてくれた」とまで言ってくれる。
でも、僕は自分が彼らの人生を変えたとは全く思っていない。確かにきっかけは与えたのかもしれないが、結局その人自身が選択し、行動しないと何も変わらないのだ。
だから、2人の人生を変えたのは僕ではなく、あくまで彼ら自身の選択と行動の結果なんだ。
日々に張りがあれば、人生は大きく変わるのだから。