人生ってほんとに色々と・・・

 

オーストリア滞在記 (幻冬舎文庫)

 呆然とするほど人の数だけ、いろんな人生があるなぁと、このお話を読んで、また改めて思いました。

 

P379

 夫は雨の予報を避けて国境を越え、ドイツ側で友人のNと落ち合い、共にロードバイクを楽しむとのこと。

 Nはもともとイギリスのプロサッカー選手で、当時はかなり活躍していたらしいのだけれど、脚の負傷により、サッカーを諦めざるを得なくなったという。しかし、彼の身体能力と人柄に惚れ込んでいたスポンサーが、激しい動きのないゴルフなら習得可能なのではないかと勧めたことにより、厳しい鍛錬に耐え、プロゴルファーとしても頭角を現した。彼自身の不屈の精神により欧州でもかなり上位に食い込み、再起不能と言われた人物の感動的な復活劇はさぞ人々を惹きつけたことだろう。

 ところが、好事魔多しとはよく言ったもので、若きガールフレンドからの誕生日プレゼントで、スポンサーとの契約では禁じられていたスキーをオーストリアにて楽しんだことが災いして、再びキャリアを失うほどの怪我をすることになる。

 オーストリアでもインスブルックはスキー負傷者がとりわけ多いため、膝の怪我ならインスブルックでと言われるほど名医が揃っており、炎症で腫れを起こす前に緊急手術をすることで、良好な予後が期待できるとされている。

 残念ながらNの場合はインスブルックではなく、尚且つアルプスの人気のない山奥での事故で、・・・膝に大変複雑な怪我を負い、それは回復の見込みのないほどのものだった。

 当時名の知られた存在であった彼の失敗する確率の高い手術を請け負うことによって、経歴に傷がつくことを恐れた医師たちは、誰もが治療を拒み、いくつもの病院をたらい回しにされた挙げ句、プライベートジェットをチャーターしてアメリカの名医のもとを訪れることになった。しかし、そこでも成功症例のみを収集している医師が「私にはこのリスクを負うことはできない」と彼を見放したため、結局当時暮らしていたドイツに舞い戻り、事故後2週間ほど経ってようやく手術を受けることができたのだった。

 不運は重なるもので、事故の責任を感じた当時のガールフレンドはNの元を離れて行き、長年お世話になっていたスポンサーとの契約も敢えなく終了したばかりか莫大な違約金を支払うことになった。

 術後の経過は芳しくなく、患部に菌が侵入して炎症を繰り返し、再手術を余儀なくされ、5年間をドイツの病院で過ごしたという。

 世界中を旅してスポーツに人生を懸けて来た彼には、友人とコンスタントに親密な関係を続ける時間などなく、行く先々で表面的な友人がいるのみで、このような時に助けを乞うことのできる友人はいなかった。

 時は20年ほど前、アップルはまだiPhoneをこの世に送り出しておらず、インターネットバンキングなどもまだ普及しておらず、郵便物を受け取ることもままならず、家賃を滞納し続けた挙げ句に差し押さえの憂き目に遭い、保険の手続きすらもなかなかできなかったという。

 その間、鎮痛剤のモルヒネを使用し続けたため、離脱症状には大変苦しんだとのことで、レストレッグス症候群に苛まれ、急な体温上昇による発汗と悪寒が交互にやって来たというから、その苦悩のほどや筆舌に尽くしがたい。

 そんな彼も、プロスポーツを諦めたことで、肩の荷がおり、現在はレーゲンスブルクにて穏やかなパートナーと共にカフェを営んでいる。

 今でも真っ直ぐ歩くことは困難で、左足に跛行が見られる。恐らく慢性的な痛みとは生涯付き合っていくもので、在りし日のパフォーマンスからは考えられないほど不自由を感じているであろうにもかかわらず彼はとてもポジティブである。

 人生で初めて街に根を張り、顔見知りのコミュニティーの中で必要とされる存在となれたことが嬉しいらしく、加えて歩くことには困難を感じても、ロードバイクで走る時だけは自由にどこへでもタイヤを転がして行くことが叶い、それで十分幸せなのだという。

 夫とは共通の趣味であるロードバイクのよしみで知り合い、毎年夏になると共にツアーに出かけている。

 現状を不幸だと嘆くことなく、限られた暮らしの中に小さな喜びを見出すことができれば、人はそれで十分に幸せなのだ。