世界を配給する人びと 遠いところの声を聴く

世界を配給する人びと: 遠いところの声を聴く

 自分が大切に思うものや守りたいものを世界へ届け、分かち合おうとしている方々のお話が集められた本、興味深く読みました。

 

P222

 ・・・本書では5人のことを「世界を配給する人」と称しましたが、相手の声を聞くことを第一歩にしていることも5人の共通点でした。聞いて、伝える。言葉で語られないところにも心の耳を傾けて、受け取ったものを伝える。そうやって現地でたくさんの声を聞き、多様な想いや生き様にふれてきたからでしょう。白黒つける単純化した語り方をしない点も、インタビューをしながら5人に共通して感じたことでした。相手のことを自分と同一視しすぎて勝手に代弁するのでもなければ、完全なる他者として切り離し、客体化しすぎるわけでもない、5人のそうした世界との向き合い方、「配給」の仕方が私は直感的に好きだったからこそ、本書の企画を考えた時にすぐ「この5人!」と思い浮かんだのだと思います。

 みずき書林の岡田林太郎さんと本書の構想を練っていた時からもう一つ話していたことがあります。それは本書を読む人に、人生の選択肢の多様さを感じてほしいということ。5人は私から見て、みんなユニークで自由な人生の選択をしているなと感じます。自分の「やりたい」を貫いた道の上に生きているからだと思います。

 

P33

 協力隊員としてシリアに2年間暮らしたなかで自分が一番驚いたのは、家族に対する愛情の深さ、これはシリアにかぎらず中東圏全体に共通している気もするけど、家族というものは絶対的な存在なんだよね。・・・

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 今、同僚の一人にシリア人のスタッフがいるんだけど、・・・

 その同僚は混乱が始まった当時、看護師を目指してシリアで勉強をしていたんだ。情勢が悪化してイラク北部のクルド自治区に難民として逃れ、難民キャンプで暮らしていた。いまは難民キャンプで出会った同じシリア人と結婚して、子どももいる。彼女は、子どもの教育や将来、自分の仕事のことを考えたら、この先もイラクで生き続けることを選択するだろうって言ってたな。でも、そうやって現実を見つめている一方で、「私とシリアは、赤ちゃんとお母さんみたいな関係なんだ」とも言っていたんだよね。「赤ん坊はお母さんのことが大好きで、お母さんから離れたがらないでしょ。私にとってシリアは大事なお母さんだから、どんな状況であれ、離れたくないっていう想いは残ってる。シリアは、私のことを抱きしめてくれる母なる土地なの」って。自分自身は、日本という国に抱きしめてもらえるなんて感覚を抱いたことがないから、すごく印象に残ったし、こういう声がもっと世界に届いてほしいなって思ったよね。砲撃があって何人亡くなったとか、センセーショナルなことや話題性があることだけじゃなくて、普通に暮らしたいと願う人たちの声が、もっと届いてほしい、大切にされてほしいと思う。

 

P66

 2011年9月からマーシャルで暮らし始めて、1年目は少しずつカメラやレンズ、録音機などの機材を買い集めるだけで撮影はしなかった。マーシャル語でのコミュニケーションもままならなかったし、関係性を作れていない中でカメラを回すことにも抵抗があったから。2年目から撮影を始めて、一番カメラを向けたのは同僚のフキコ・チュウタロウさんとその家族、フキコさんの人柄に魅かれたのが大きかったのと、フキコさんのルーツにも関心があった。

 フキコさんのお祖父さんは、戦前に沖縄の今帰仁村から出稼ぎにやって来た具志忠太郎さんという方。ファーストネームの忠太郎がマーシャルでは名字になっていて、フキコさんのようにチュウタロウ姓の人に会うと具志忠太郎さんの家族とわかる。敗戦後、多くの日本人が引き揚げたなかで残留が認められた具志忠太郎さんは、晩年、牧師になって被ばくの実態を個人的に調査して世界に伝えようと力を尽くされた方だった。

 撮影を始めた当時、フキコさんの家には夫と5人の子どもが暮らしていた。アメリカで暮らすフキコさんの姉の娘2人と、近くで暮らす妹の娘1人、もうひとりの女の子は、血縁関係のない3才の子だった。名前はミコ。フキコさんの家に通い始めてしばらくした頃、ミコがフキコさんの家にいる経緯を知ったときはとてもびっくりした。これから話すのは、フキコさんから聞いたウソのようなほんとうの話。

 ある日、フキコさんの夫がたまたま訪れた離島で、泣いている赤ちゃんに会った。泣き喚く赤ちゃんは、お母さんの腕の中でいっこうに泣き止まない。試しにフキコさんの夫があやそうと抱っこしてみると、途端に赤ちゃんは泣き止んだ。それを見たお母さんは「この子はいつも泣いてばかりで手に負えないから、代わりに面倒をみてくれないか」とフキコさんの夫に相談。フキコさんの夫はその場で快諾し、赤ちゃんを連れて家に帰った。突然、夫が見知らぬ赤ちゃんを連れて帰ってきて、フキコさんはどういう反応をしたのかと訊ねると……。「それがね、その数日前、どこかの島で泣いている赤ちゃんの夢を見たの。その赤ちゃんがミコだったんだね」って。驚くほど自然に、ミコを家族として迎え入れていた。

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 ほかにもフキコさんの家には男の子が出入りしていて、彼もフキコさんの養子になっていた。彼は両親と折り合いがつかず、実家にいるとグレてしまう。そんな自分が嫌いだから、フキコさんの家で子どもたちの面倒を見たり、家事を手伝ったりしながら居候していた。フキコさんの家は決して広くないんだけど、12畳ほどのひと間にいろんな人が入れ替わり立ち代わりやってきて、フキコさんはいつも誰かの相談にのっていた。そんなフキコさんと、フキコさんのまわりにいる人たちの姿を映像で残したいと思ったんだよね。家族としてのあり方がものすごく豊かに見えたから。・・・

 

P153

 ウガンダに限らず、知らない世界を知ることはとにかく楽しいです。海外を見ることで日本のいろんなことに気づくように、外を見ることで、自分を知ることも多い気がします。自分はどういう時代のなかにいるのか、自分の立ち位置を知ることができる……。同時に、世界はすごく広いってことも感じられると思います。自分がいるこの場所がすべてじゃないんだとわかると、たとえ今いる世界で生きにくさを感じても、究極の選択をせずに済むと思うんです。「ここが苦しいなら、ウガンダに行ってみたらいいよ」って言いたいですね(笑)。

 とはいえ、私は「ウガンダが大好き」っていうわけではないんですよね。ご縁がつながってここまで来たなというのが正直な感覚です。ウガンダという「国」というよりは、そこにいる友人たちと繋がっているという感覚がしっくりくるかな。でも、日本で何かアフリカのことを喋れと言われればそれはウガンダのことですし、ウガンダへの愛着みたいなものはあります。そして、彼らから学ぶことも多いです。

 ウガンダの人たちの最大の魅力は、セルフエスティーム、自己肯定感が高いことだと思います。自分のことが大好きで、セルフィーも大好きです。みんな基本的に稼いだ日銭でその日暮らしをしていて貯蓄もしませんが、なんだか楽しそうだし、とにかくみんな身軽です。「お金はないけど心の豊かさはある」みたいなことをよく聞きますけど、その表現はいまいちしっくりきません。もっと、そこにそのままその人がどっしりと存在している、みたいな感じです。

 それに付随して、細かいことは気にしない、いい意味での雑さや気取らなさもウガンダにはあります。宗教もとても寛容で、カソリックの学校にムスリムの子も通っていたりします。2018年に、生後10ヶ月の息子を連れてウガンダに訪れた時も、ウガンダのお母さんたちは胸をケープなどで隠すことなくどこでもいつでも授乳していましたし、オムツ替えも、レストランの食事をしている人たちの間でもやらせてくれたりして、驚きました。そいう細かいことにこだわらない雰囲気に、心配や緊張がふっと解かれたり、日本の「当たり前」とは違う世界にハッとさせられることも多いです。