上を向いてアルコール

上を向いてアルコール

 お酒を止められた方の、その経緯の観察と考察、結構きつかったのではと想像しますが、とても読みやすかったです。

 

P104

 医者に行くきっかけは、前にお話しした連続飲酒発作の一番きついやつが出て、例によって玉井病院に点滴を受けに行ったときです。点滴を受けたけど、まだ食べられない飲めないという感じで、とにかくそれまでで一番ひどい体調でした。で、さすがに反省したというのか、これはいくらなんでもたまったもんじゃないと思って、とにかくしばらく酒はやめようと思ったわけです。

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 それが九五年のゴールデンウィークだったのかな。それで丸五日間禁酒しました。だけど、その丸五日飲まなかった間、一睡もできなかった。

 アルコールの離脱症状の二本柱は「不眠」と「抑鬱」だと言われています。自分ではアル中だと思っていない人でも、アルコール依存に片足突っ込んでいる人は、別になんてこともないんだけど、一杯飲まないと寝られないからぐらいな理由で飲んでいたりします。好きとか嫌いとか、酔うとか酔わないとか、そういう話じゃなくて、一杯酒が入ってないとうまく眠れないっていう人たちは、実はたくさんいます。

 で、ある程度症状の進んだアルコール依存の人間は、素面だと目が冴えて全然寝られません。・・・

 不眠五日目に幻聴がやってきました。

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 ・・・これはまずいと考えました。とにかく一人で部屋にいるのが不安でした。で、テレビを点けたのを覚えています。そしたら、テレビで女優さんが言ったセリフと同じセリフが、自分の後ろから聞えるんですよ。二秒遅れぐらいで。・・・

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 ・・・「あ、オレもついにあっち側の世界に行ったんだ」って、そのときはそう思いました。自分はどうやらアタマの病気らしい、と。

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 なんとか病院に着いてそこで自分の症状を話しました。三〇分ほどの問診を経て、そのときに初めて医者から、公式に、「あなたはアルコール依存ですね」という診断を頂戴した。

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 その医者は前述の田中先生といって、久里浜にあるアルコール依存の治療では日本で一番有名な病院で働いていた人でした。ご本人のおっしゃるには、久里浜で一〇年以上働いて、さすがにもう酔っ払いを診るのが嫌になった。それで、自分で心療内科のクリニックを開いたということでした。なので「基本的に私は、アル中は診ないよ」と言ってましたね。ちなみに先生が「アル中」という言葉を使うのは、「アルコール依存」という言い方はごまかしだから、だそうです。

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 ・・・その最初に受診したとき、田中先生に「あなたはまだ三〇代だから、〝困った酔っ払い〟くらいのところでなんとかやっているのだと思う。だけど、四〇になったら酒乱、五〇で人格崩壊、で、六〇になると、アルコール性脳委縮で死にますよ」と言われました。

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 ・・・「本来私は、アル中は診ないんです。というのも、アル中というのは治らないから。久里浜にいたときも、何度診ても必ず飲んじゃう。八~九割は治らない。だけどまあ、あなたどうやらインテリのようだから」と。「もしかしたら治る見込みがあるかもしれないから、診てあげることにする」とおっしゃいました。まあ、見事な患者コントロール術ですよ。

 何回か後の診療のときに、先生は、自分が最初の診療のときに、「インテリだから診る」と言った意味について説明してくれました。

 先生の言うには、アルコールをやめるということは、単に我慢し続けるとか、忍耐を一生続けるとかいう話ではない。酒をやめるためには、酒に関わっていた生活を意識的に組み替えること。それは決意とか忍耐の問題ではなくて、生活のプランニングを一からすべて組み替えるということで、それは知性のない人間にはできない、と。

 でも実際やってみるとそうでしたよ。だって、酒がない人生を一から設計し直す作業というのは、実際問題としてえらく人工的な営為じゃないですか。

 とにかく自然に振る舞っていると飲んじゃうわけです。

 これも先生の言っていたことなんだけど、「アル中さんっていうのは、旅行に行くのでも、テレビを観るのでも、あるいは音楽を聴くのでも、全部酒ありきなんだ」と。だから、音楽を楽しんでいるつもりなのかもしれないけど、酒の肴として音楽を享受している。そういうところを改めなくてはならないから、これからは、飲まないで聴く音楽の楽しみ方を自分で考えないといけないよ、みたいなことを言われました。

 私は「ああ、そういうものなんですかね」と言ってたんだけど、たしかに、音楽を聴くとか、小説を読むとかっていうことを全部酒とセットにしてたから、酒なしで聴くとつまらないんですよ。あとでちゃんと聴けるようになりましたけど、酒やめたばっかりのころは、音楽が不愉快なくらいつまらなく思えました。・・・

 

P124

 先生に「アル中」と言われて、そこからは薬治療です。

 ・・・私にはその三環系の抗鬱剤がすごく効きました。

 その薬を飲んでいたころは、自分のなかでは、「酒をやめていた時代」というより、「薬が効いていた時代」という感じです。その後、薬をソフトランディングで減らして、それがなくなってからが、酒をやめることの本番だった気がしています。

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 ・・・嫁さんに言わせると、「すごく機嫌が良くて、できればもう一度飲んでほしいくらい」。とにかく明朗快活で大変に気持ちのいい奴だったみたいです。朝からまめに掃除したり。

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 そのころはすっごくまめでね、ノートなんかも、システム手帳買って、ものの値段やら何やらを全部きれいにメモしていました。そのころのメモが残ってますけど、笑いますよ。あまりに別の人みたいで。

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 すごく前向きでした。

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 まったくの別人じゃないんですけど、いわゆる〝オダジマさん〟を少し前向きで積極的で陽気で機嫌良くした人ですよ。あのまま薬飲んでいたら、どうなってたかわからないですね。

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 その薬をやめたら元の木阿弥で、まったく元のものの考え方に戻りましたけどね。

 

P153

 なんで飲んじゃうのかという理由をいちいち考えて飲んでいるのはウソだ、という話を以前しましたよね。それでも強いて、傾向としての理由をあげると、これは飲む人全員ではないと思うんだけど、アルコールに依存しがちな人間には、いろんなことについて物事を単純化したい欲望があらかじめ宿っている気がしています。

 三年くらい前に、「明るいうちはものを食べないダイエット」というのをやって一〇キロ痩せたことがあります。・・・

 ・・・「明るいうちは食べないんだよ」みたいなやり方って簡単じゃないですか。そういうことなら私はできるんですよ。これは私にかぎらず、「リンゴだけダイエット」とか、ああいうたわけたダイエットが流行るのは、太っている人たちにとっては、ダイエットが嫌なんではなくて、考えるのが嫌だからです。おそらく。こういう計算式を出してこういう表をつくって「レコーディング・ダイエット」で痩せましょう、というような死ぬほど面倒くさいことをやるくらいだったら、単純に食べるのを我慢して、飢餓ダイエットで行くぞ、みたいな人たちが存外多い。そういう面倒くさがりの人が、結果としてはリバウンドして太っていくんですけど。

 世間の三割くらいは、「オレ、考えるの嫌だ」みたいな人で構成されていて、酒を飲む人もたぶんそのグループの仲間に含まれています。

 ・・・長財布を持てば人生が開けるんだ、とかごく単純でわかりやすい何かを一心にやっていくとそれだけで人生が開ける。そんな話ウソに決まってるんだけど、もし万が一本当だったら素敵じゃないですか。

 そういう人たちにとって、ノルマそのものはつらくてもいいんですよ。

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 なぜそういうふうに極端に振れるのかというと、別に私が極端な人間だからではなくて、自分の暮らし方だとか生き方についてその都度その場面に沿ったカタチで考えることがとにかく大嫌いだったから。要するに、ある種人工的だったり習慣的だったりする指針に従うほうが本人としては楽だったということです。

 酒を飲むという行為は、そういう立案を嫌う人間が依存しやすい生き方と思います。いろんなときに「ま、とにかく飲んじゃおうよ」というのがいいプランに見えたんだと思うんですね。私にかぎらず、人間は「人生を単純化したい」というかなり強烈な欲望を抱いています。たとえば念仏とかも、単純化の極みじゃないですか。

南無阿弥陀仏」と言っておけばいいんだ、往生するんだ。

 素敵じゃないですか。