正々堂々

正々堂々 私が好きな私で生きていいんだ

 僧侶であり、メイクアップアーティストであり、LGBTQでもある西村宏堂さんの本。

 印象に残るところがたくさんありました。

 

P31

「みんながそう言っているから」って自分の生き方を決めてしまうのは、とても怖いこと。だって、私の人生がうまくいかなかったとき「みんな」は私を助けてはくれないでしょう?それに、誰かもわからない「みんな」に文句を言ったところで私自身も救われない。

 私は今でも、「みんな」や「普通」や「常識」という言葉には気をつけているし、安易に口に出しません。「みんな」なんて、実体のない存在なんだから。

 ・・・

「私は〇〇だ」と信じて言い切る強さを教えてくれたのは、2018年のミス・ユニバースでスペイン代表だったアンヘラ・ポンセです。彼女は、1952年から開催されているミス・ユニバース史上初のトランスジェンダーの女性。

 世界中で大きく報道された分だけ、「ミス・ユニバースの伝統に傷がつく」「トランスジェンダーのための大会に出場すればいい」といった彼女に対する批判の声がたくさん上がりました。でも、アンヘラはいつだって、「私は女性です」と力強く言い返していたんです。

 この大会にメイクアップアーティストとして参加していた私は、彼女に「私は前から、ミス・ユニバースに憧れていたの。だから、あなたが女性としてこの場にいることは、私の夢が叶ったようですっごく嬉しい」と、つたないスペイン語で伝えました。そうしたら彼女は、笑顔でこう返してくれました。

「私は、生まれる前から女性なの。体は違ったけれど、女性なんです。女性という言葉は、ひとつの限定した形を示すものではないの。人種、体形、病気、いろいろなバックグラウンドを持つ多様な女性がいて、私はトランスジェンダーの女性というだけのこと。だから、私は女性なんです」

 

P48

 怒りという感情の出どころは、たいてい、自分の中にあると私は思っていて。・・・

 たとえば私はこの間、「本当にいつもこの人の話は長いんだから」って、イライラしたんです。でも、いつもはそんなふうに思わないのになんでイライラしたんだろうと考えたら、そのときは私がトイレに行きたくてそわそわしていただけ(笑)。私が相手に、「ちょっとごめん、お手洗いに行ってくるね」と言えばよかったんです。

 怒りは、自分に正直であることを怠り、やりたいことを言えない、できないと我慢したときに起こりやすい。だって、人のせいにするほうが簡単だから。

 ・・・

「我慢」というのも実は仏教用語で、今は一般的に辛抱するという意味で使われることが多いけど、もともとは字が表す通り「我を慢心すること」という意味。自分を偉いと思い驕り高ぶって、他者を軽んじるという、よくないことの教えなんですね。

 我慢が慢心というのは本当にそう。私もかつて、この人のためにと思って自分の時間を削り、気持ちを押し殺して我慢していたことがあって。それって、この人には私が必要だっていう慢心そのもの。その結果、その人のことが大嫌いになって、アトピーを悪化させて苦しみました。

 この先も自分の気持ちを我慢してしまうことって、絶対ある。そんなときは私は、「何か我慢していない?」と自分に問いたいと思います。

 

P54

 自信を文字通りに解釈すれば、自分を信じる、ということ。

 では、自分を信じるために必要なことって何?

「自分がどんな人間なのかを知っていること」というのが、私の考え。

 自分を知っているというのは、自分の〝できること、できないこと〟をしっかり理解して、それを信じている状態。それが自信だと思うんです。

 語学が堪能とか容姿が美しいといった能力や状態の自信はもちろん素晴らしいけれど、自分を上回る人が現れた現れた瞬間にその自信は揺らいでしまわない?

 能力や状態の自信は、落ち込んだり困ったりしたときに、自分を支えてくれるものではないんですよね。だから私は、それを本当の自信とは思えなくて。

 私の考える本当の自信は、どんな苦しい状況でも、「自分のことを知っているから大丈夫」と応援して守ってくれるもの。

 ・・・

 自分がどんな人間であるかを知って、それをポジティブに受け止められるようになると、誰かと能力だけで比較することの無意味さに気づけるし、どんなときも揺らがない自信になる。

 それが、人生を生きやすくしてくれるって、私は信じてる。

 

P59

 大切なのは、できることも、できないことも、実力を偽らずに認めること。

 できないという事実をまずは自分が受け入れないと、それを隠したり跳ね返したりするための無駄な労力が必要だし、いらぬプライドや見栄が身についてしまう。そのプライドや見栄は、自分に正直に生きるうえで足かせにしかならないんですね。

 できないことを自分が認めていたら、できないなりのやり方を模索して前に進んでいける。だからこそ、「できない自信」も大事なんだって私は思ってる。

 ・・・

 できるもできないも含めて、人にはそれぞれ能力があるのだから、何もかも自分ひとりで抱え込んで頑張る必要もないじゃない?