なにはともあれ、現地に飛んでみると・・・こんなことってあるんですね。
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ヨハネスブルクの空港に到着したとき、私はガチガチに緊張していた。・・・
・・・ヨハネスブルクは「世界で最も治安の悪い都市」として蛮名を馳せている。・・・
・・・一人で緊迫していたのだが、・・・荷物検査を担当している若い警官は朗らかな声でなにやら現地語の挨拶をした。
「ハロー、今なんて言ったの?」私が訊ねると、
「ズールー語で『こんにちは』って意味さ」警官は陽気に笑った。
軽い会話でホッと一息つくと、今度はツーリスト・インフォメーションを探した。・・・
パンフレットを眺めたが、値段はどれも四〇〇ランド(八千円前後)でネットも完備されている。
「この中でどれがいいと思います?」私は兄さんに訊いた。
「どれも同じですよ」
・・・
悩んだ末、泳ぐつもりもないのについプールが写真に写っているホテルを選んでしまった。・・・
この宿選びが実はたいへんな正念場だったのだが、このときの私は知るよしもなかった。
・・・
空港を出て三十分くらいすると、車は郊外の住宅街に入っていった。そして、一軒の大きな家の前で止まった。鉄のゲートが自動に開いた。
「え、ここ?」私は驚いたが、ドライバーは「ああ」と面倒くさそうに答えただけだった。
写真とはえらくちがっていた。・・・
最悪なのは従業員がダレきっていることだった。フロント係は「留守」とのことでチェックインの手続きもできず、・・・
なんだ、このやる気のなさは。まるでコンゴのホテルみたいじゃないか。
私はチッと舌打ちした。南アは治安が悪い代わりに経済は発展している。もう少し、人がてきぱきしていると思ったのだ。
・・・
リシャールはどこにいるのだろう。南アのどこかにいるのだろうか。いるとしても、どうやって探せばいいのか。・・・
南アにいればまだいい。アフリカの他の地に行ってしまっているかもしれない。・・・
・・・
夜中に何度も目を覚まし、起きたのは六時前だった。部屋はヒーターを入れていたのにえらく寒く、じっと座っていられない。ダメだ、こんな宿にいられない。
・・・
・・・人を探すと、昨日案内してくれたボロセーターの下働きおじさんがいた。
・・・
「あなたは何語を話すの?」おじさんに訊くと「エベディ語だ」。
「エベディ語で『こんにちは』ってなんて言うの?」
「トベーラ」
「トベーラ?」真似して言ってみる。
「そうだ、トベーラ」おじさんは破顔した。・・・外国人がアフリカの現地語を・・・覚えようとすると、面白がられたり、喜ばれたりする。・・・
・・・
・・・とにかくこの宿を引き払い、もっとマシな宿に移り、そこで相談するべきだという結論に達した。・・・チェックアウトしたいのだが、まだチェックインをしていなかった。・・・あー、なんて面倒くさいんだ。
・・・八時ごろ、やっとマネージャーが出勤してきた。
マネージャーは三十前後とおぼしき、無表情な人だった。
・・・さっき覚えたエベディ語を試してみた。アフリカ人は同じ民族で固まることが多い。ここはエベディ族で固められている可能性が高いと思ったのだ。つとめて明るく、
「トベーラ!」と呼びかけると、彼はあからさまに「はあ?」と眉をしかめた。
「君はエベディ族じゃないの?」
「ノー」
「じゃあ、どこの民族?」
「私はこの国の人間じゃない」不機嫌そうな声で答えた。
「え、じゃあ、どこなの?」
「コンゴだ」
「え、コンゴ⁉」驚きつつ「ムボテ・ミンギー」という言葉がポンと出た。リンガラ語で「こんにちは」の意味だ。
「あ⁉」彼はポカンと口をあけ、目をぱちくりした。「オロバカ・リンガラ?(リンガラ語を話すのか?)」
「エー、モケモケ(あー、ちょっとね)」
それ以上、リンガラ語が出てこないので「君はどこ出身?」英語で言った。
「(首都の)キンシャサだ。でも、いやあ……」
マネージャーの顔は一瞬にして驚きから喜びへと変わった。・・・さきほどまでの仏頂面がウソのようだ。
私も驚き、喜んだ。こんなところでコンゴ人に出会うなんて!でもどうしてこんなところにコンゴ人がいるのだろう?
「このホテルはコンゴ人がオーナーなんだよ」彼は笑った。「従業員も七人中五人はコンゴ人さ」
「ええー!」今度は私が口をポカンとあける番だった。
なんてこった。・・・従業員が無愛想でだれきっていて、コンゴのホテルそっくりだと思っていたが、無理もない。ほんとうにコンゴのホテルだったのだ。
・・・
「あんた、よく知ってるなあ。どこで習ったんだ?」
「マトンゲだよ」私はコンゴのみならず、アフリカ屈指の歓楽街の名前をあげた。・・・
「ワーオ!」彼は信じられんというふうに首を振ると、・・・私の差し出した手をパンと叩いた。
「あんたはツーリストか?」英語に戻って彼が訊く。
「いや、昔の友だちを探しに来たんだ。リシャール・ムカバっていって、ゴマ出身だ」
「リシャール?英語だとリチャードだな……。もしかしたら、俺の友だちかもしれない。ちょっと訊いてみるよ」
「ええっ?」
・・・呆然としている私の前で、・・・携帯電話を取り出してピピッとダイヤルした。・・・
「ちがった。僕の友だちじゃなかった」パピーがゆるやかに首を振った。
「でも、僕の友だちは別のリチャードを知っていると言っていたよ。ゴマ出身らしい。今、電話番号を調べてもらっている」
「あ、あー、ありがとう……」私はやっとそれだけ言った。
・・・
いやあ、たまげた!参った!やられた!
そうか、こういう手があったか。私はとにかく直接現地に行くことばかり考えていたが、アフリカ人はもともと部族社会だ。ましてや外国なら同胞と徹底的に結束するのだ。完全にそのことを忘れていた。・・・最初からコンゴ人を探して回ればよかったのだ。
それにしてもなんという幸運。空港でたまたま選んだ宿がコンゴ人宿で、その宿に嫌気がさして、この幸運に気づかぬまま危うく出て行ってしまうところだった。
いや、幸運なんてもんじゃない、「奇跡」だ。奇跡が今起きようとしているのだ……
・・・
肝心の電話はいっこうにかかってこなかった。・・・
・・・
―話がうますぎる……。
思い返せば、コンゴで何か物事がてきぱきと運んだ試しはない。・・・
いつの間にか四時間が過ぎた。午後二時。
「やっぱりダメか……」私はあきらめかけていた。・・・
さんざん迷っていると、後ろから肩を叩かれた。振り向くとパピーが立っていて、「ほら」と携帯電話を私に渡した。
「リチャードだ」
いきなりのことで何も考えずに出た。
「ハロー、あんた、リチャードか?」
「そうだ、あんた、誰だ?」
・・・私はおそるおそる訊いてみた。
「タカノ、日本人だ。君とはウガンダで会っただろう。覚えてないか?」
・・・相手は素っ頓狂な声を上げた。
「タカノ!覚えてるよ、もちろん。今、どこだ?」
え、ほんとにリチャードなのか!あの、十年前、ウガンダで会った、脱獄囚のリチャードなのか!
「ヨハネスブルクだ。君は今どこだ⁉」私も叫んだ。
「ケープタウンだ。君は何しに南アへ来たんだ?どのくらいこっちにいるんだ?」
「俺は君を探しにここに来たんだよ」
「え、ほんと?信じられない!」
「ナ・コケンデ・ケープタウン、OK?(これから俺はケープタウンに行くよ、OK?)」リンガラ語で訊けば、彼もリンガラ語で答えた。
「ヤーカ、ヤーカ!ナコゼラ!(来なよ、来なよ!待ってるぜ!)」
・・・
「よかったな、やっぱり彼だったんだ」パピーがにこにこした。
「ありがとう、ほんとにありがとう!」私は椅子から立ち上がると、両手で彼の右手をぎゅっと握り締めた。
やった!見つけた!私は心の中で雄叫びをあげた。この広い南アフリカから一人の流れ者を探すのは大海に落ちたコインを探すようなものだと思ったが、・・・たった一人の人間に訊ねたら発見してしまった。
こんなことがありえるのだろうか。・・・