僕という存在を遊ぶ

僕は、死なない。 全身末期がんから生還してわかった人生に奇跡を起こすサレンダーの法則

 これからはこんな生き方をしたい、と書かれていました。

 

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 行為しようとの意志を持たず、しかもすべてを成し遂げる。これが無為自然の「道」である。 『老子列子』(奥平卓・大村益夫訳・徳間書店

 これは約2500年前、中国にいた老子が書いた『道徳経』の一節。

 老子は作為的に何かを〝行動(Doing)〟することを否定する。老子の有名な言葉で〝為無為〟というものがある。意味は「何もしないことを、する」。・・・

 何かしたくなる、思考の不安や恐れを乗り越え、全体(道/TAO)を信頼し、あえてぐっと堪えて、何もしない。

 ・・・全体(道/TAO)のエネルギーと一体となり、一緒に流れていくことで自我(エゴ)を超越し、成すことは自然に成され、得たいものは自然と得て、全てが収まるところへ収まっていく。

 ・・・

 サレンダーには二つの方向があると思う。一つは世界と戦わないという方向。目の前の状況、環境を抵抗せずに受け入れ、外側の流れに身をゆだねる。そしてもう一つは、自分の中から湧いてくる内側からの流れ、直感やエネルギーに身をゆだねるという方向。

 ・・・

 夢中になれること、ワクワクすること、時間を忘れて没頭できること、そういったものを自分の存在(Being)を通じてこの世界に放出していくとき、それに合わせるように、それを迎えるように様々な出来事が起こってくる。それを体験することが自分の魂の計画なんじゃないだろうか。

 ・・・

 自分という通路を通じてこの世界にもたらされるものは祝福だと思う。この祝福は自分を通じてこの世界にやってきたものだけれど、自分のものではない。魂にとって成果物などない。〝それを生きる〟ということが魂の喜びだと思う。

 サレンダーを意識して、世界と魂に自分を明け渡す。そうすると、きっと人生は今までと違ったものになると思う。・・・

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 これから先、僕はどうなるかはわからない。

 この先の人生に何が待っているかもわからない。

 そんなことは考えてない。考えてもしょうがないことは考えない。

 目の前に来ることに一生懸命対応し、直感的にひらめいたことを行い、毎日気分よく過ごす、これが今の僕の生き方。

 この人生はおまけ。

 せっかく、もう一度生きることができるのだから、楽しくワクワクと魂が喜ぶ生き方をしようと思う。誰かのためとか、何かの役割とか、過去の自分がこうだったからとかに引きずられずに、今、ここで、自分らしく自分の時間を大切に、自分の人生を生きていく。

 そうしないと、命がもったいないし、遊ばないともったいない。

 魂は、僕という存在を遊ぶために、この世にやってきたのだから。