ばあちゃんの幸せレシピ

ばあちゃんの幸せレシピ

 著者が旅して、そこで素敵なおばあちゃんを探し(ばばハントと呼んでます)、お話を聞きながら美味しいレシピも教えてもらう・・・カラフルな写真と共に味わい深いエピソードがたくさん載っていました。

 

P110

 手がかりもまったくないままに訪れた能登島だったけど、「この島初めての女性教育長がいる」と聞いて会いに行った。それが、過去の町長の娘であり網元でもあった石橋嗣子さん。その土地の歴史に精通した81歳。・・・

 体育教師だったばあちゃんは、愛情を込めて「つんこ先生」と呼ばれている。・・・

 生後8ヶ月のときに母が他界し、明けても暮れてもお酒を飲む父と漁師仲間の男性ばかりに囲まれて、自分の居場所がなかったのが苦痛だったと話すつんこ先生。

「子どもながらに精一杯知恵をつけて、嗅覚で世渡りを学んだの。だからここまでたくましく生きて来られた」。

 高校では砲丸投げの選手としてインターハイに何度も出場し、3年生のときに同じクラスだった旦那さんとのちに結婚。・・・「わしは爆弾と結婚したようなものだと思ってる」と、よく言われたものよ。我慢強くて思慮深くて、その我慢のひとつに私も入ってたかもしれないわね・・・

 つんこ先生は高校を卒業した後東京に行ったり七尾に行ったりして、能登島に戻って来なかったけれど、結婚していよいよ戻ることになった。「辛い思い出の多いこの島に戻るのは嫌だったけれど、仕方ないわね。・・・出ようとする度に大地震で家を壊されてしまったり、親が病気になったりして阻まれて。もう、出られないなら、ここでいかに楽しく生きるかって考えることにしたの。仲間と一緒に料理を提供するお店をやってみたりね。でもそれも少し軌道に乗ったときに交通事故にあったり、胃がんになったり。なんと素晴らしい人生かと思ったわね!」

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「困難をはねのけて行くのもまた楽しいの。いかに上等じゃない環境の中で楽しく生き延びるか、人生は、そういうことなのよ」とさらりと言う。

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 ・・・ばばハントを3年やってみて気づいたばあちゃんたちと私の決定的な違いは、人生に対して、そして生きる事に対しての気迫だ。「何があっても、どこであっても、楽しむ事を忘れずに着実に道を見つけて生き抜くんだ」。そういう覚悟と気迫。それを持った上で、「どれだけ頑張っても、人生にはなるようにしかならないこともある」と受け入れる覚悟すらも持っている。それに気づき、どうせ同じ人生なら私も気迫のこもった人生を歩みたいという感情が湧いてきた。私の人生は30歳にしてやっと少し本番になってきたようだ。