美しさとは、強さである

ばあちゃんの幸せレシピ

 たくましいなぁ、すごいなぁと驚きつつ読みました。

 

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 美しさとは、強さである。カウンター8席ほどしかない小さな焼き鳥屋で、ハッと背筋を伸ばしたり、涙を浮かべたりすることになるとは思わなかった。

 香川県高松市で、知る人ぞ知る伝説的な焼き鳥屋「なぎさ」の噂を聞いたのは、春のこと。・・・

 東京目黒で生まれた斎藤好子さんは、92歳。50代の時に高松に移住してひとりで始めたお店は、今に至るまでずっと年中無休、夕方5時にオープンして朝の6時にクローズする。

「今だって朝9時までお客さんがいることも多いわよ。毎日開け続けて、お客さんがひとりも来なかったことは35年間一度もないの。ありがたいわね」と笑う。日本舞踊は師範、卓球は全国大会出場、女優かと見紛うほどの美貌を持つ多才な好子さんが焼き鳥屋をひとりで切り盛りするまでには、映画が1本できるほどの壮大な人生模様があった。「水商売はね、主人と結婚して転勤した博多で人に騙されてね。仕方なく始めたのよ」。

 ママとなった好子さんは、そのスナックを博多で遊ぶ者なら知らない人はいないほどに育てた。「でもね、それもまた事件に巻き込まれて。結局、逃げるようにして高松まで来たの。警察や弁護士さん、それからコワいお兄さんたちにもずいぶんと助けてもらったわ。あんまり詳しくは言えないけどね」と含み笑いをする。「それでも、なんだかんだで乗り越えてきたの。高松に来たときね、360円しか持ってなかったのよ」・・・昔踊りを教えていた生徒さんから200万くらい借金をして始めたの。こんな小さなお店に1日に50人、60人もお客さんが来て、その借金は2年で倍にして返したわ。何があってもメソメソしたりはしなかった。主人や子どもたちにも、こういうことはあまり話してないの」。

 今でも好子さんのもとには、毎日色んな人が訪れる。良い人が多いのと言うけれど、子どもを抱いてお金を貸して欲しいと泣いてすがってくる人、連帯保証人になって欲しいと言ってくる人なども後を絶たなかった。そして気づけば、肩代わりをして出来た借金が2000万に。「人の借金は、やっと去年返し終わった。貸した人のなかには逃げた人もいるし、死んでしまった人もいるけれど、自分が承知して肩代わりしてあげたのだから仕方ないわね」。

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 35年間開け続けたという店。一度、好子さんが入院したこともあった。そんな時は、地元のシェフや板前さんが代わる代わる店に立った。「夕方病院に迎えに来てもらってね、カウンターの端に座ってお客さんと話して、朝病院に戻るの。ひどい患者よね。みんなによくしてもらって、今がある。だから今も、もしも1日でも店を閉めたりしたら、何かあったんじゃないかって電話が鳴りっぱなしよ。だからずっと休めないのよ」

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「大変だけど、私にとっては本当に幸せな人生。人に良くしたら必ず返って来る。これだけは自信を持って言える。我慢して損することはない。自分が磨かれていくからね」