美しいすもう

世界のおすもうさん

角力の人間は、みんな強いし、優しいし、おもしろい」って、いいな~、それはみんな集まってきちゃうな~と思いました。

 

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 沖縄角力を調べていくと、どうしたって久米島に行き当たる。人口約八〇〇〇人のこの島は、数多の名力士を輩出してきた。・・・久米島角力は、強いだけじゃなくて、正々堂々と美しいのが特徴だと聞く。・・・

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 久米島から離れ、那覇で自活し始めた哲也さんだったが、里帰りした際に久しぶりに角力の練習に参加し、仲間と酒を飲んだのが運の尽き。「久米島角力がやりたい!」という思いが募り、あとさき考えずに仕事を辞めてしまったのだ。進学や就職で島外に出たものの、角力をやりたいがために島に戻ってきた、という事例は数多ある。角力の磁力、侮るべからず。

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 優勝回数を尋ねても、哲也さんは「さあ、何回でしょうねぇ」と笑うばかり。本当に何回優勝したか覚えていないらしいのだ。それは謙虚なのでも優勝を軽んじているわけでもないことが、だんだんとわかってくる。哲也さんは勝ち負けじゃないところを目指していたのである。

 

 久米島の人間は、つまらん角力を取っても意味がないって思ってる。つまらん角力っていうのは「ホウヤージマ」といって、手数が少ない、腰が引けてる、待っている角力のことです。ホウヤーは「逃げる」の意味ですね。ホウヤージマで相手を疲れさせて、最後に倒して勝つ作戦もあるけど、久米島ではそれはまったく魅力のない角力だと思われてるんです。久米島の大会だったら、ホウヤージマで勝っても見てるほうからヤジが飛びますよ、ハハハ。

 沖縄角力は三本勝負ですけど、二本取って勝ったとしても、負けの一本がダメな負け方だったら後悔するんですよね。逆に負けても、「よし、今日は今までの自分を越えたな」と思えたら納得して帰れる。饒平名さんがそういう風に育ててくれたから、久米島の人はたぶんみんなそうです。

 

 饒平名さんの教えを語るとき、哲也さんの口調は熱を帯びる。それは角力を超越して、どう人生に立ち向かうのか、の教えなのだ。

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 さて、哲也さんは二九歳で引退した。ところが、三年後にどうしてももう一度角力をやりたくなってしまい、復活するのである。横綱まで極めた有力力士が引退を撤回するのは前例のないことだった。

 

 二九のときは優勝しなきゃってプレッシャーがすごくて。やっぱり横綱は負けたら引退しなければいけない、という考えがありますから。でも引退して後輩たちの指導をしていると、現役時代はわからなかったことが見えてきたんですよね。

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 ・・・それから復帰して二年やりました。その二年間は本当に楽しかったです。・・・自分にゆとりを持って、純粋な気持ちで角力と向き合えたんですよね。・・・

 

 哲也さんは心の底からうれしそうに笑った。横綱のプレッシャーから解放されて、角力を心の底から楽しんだ二年間を思うと、自然に笑顔が出てしまうようだった。そして、角力の技術と哲学は後輩に継承されていく。

 

 角力をやると、みんないい男になっていくんですよ。礼儀も知っていて、バカもできて、仕事でもなんでも手を抜かん人間になる。だからこの島では、角力やってるやつは人気があります。沖縄には「模合」といって、同級生が定期的に集まる習慣があるんですけど、そういうときでもだいたい角力やってる人間がみんなのまとめ役。

 昔も今も、やんちゃで手に負えない子がいたら、先生や親から「角力を教えてやってくれ」と頼まれる。「わかりました。教えましょうね」って引き受けますよ。角力の人間はみんな強いし、優しいし、おもしろい。なんかすればみんなが叱ってくれる。それでいい青年になっていくんです。次にまたそいつが後輩を教えるようになるんですよ。