お金が退屈する?

しょぼい生活革命

 お金はサッカーのボールと同じ、というたとえ、なるほどなぁと思いました。

 

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預言者ムハンマドは、使ったお金だけが財産だとおっしゃっています。あるいは贈与したものは必ずそれ以上になると、モースも言っていました。

 

内田 そうですね。欲しいものは、それをまず他人に与える。そうやって迂回的にしか欲しいものは手に入らない。

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 難しいのは、贈与って才能が要るんですよ。「10億円あったらどんな贈与ができるかな……」ということばかりふだんから考えている人しか、10億円が思いがけなく入ってきたときに対応できないから。

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 3日以内に10億円使おうと思ったら、人にあげるしかないんです。でも、そのためにはつね日頃から、「ああ、ここにどかんとお金があったら、あの人とあの人とあの人にあげたいなあ」という夢想をしていて、そのための長大なリストを作成している必要がある。・・・「贈与したい人リスト」を持っている人は、実はふだんからその人たちにたとえ少額ずつではあっても贈与する習慣がある人なんです。「前回は100万円しかあげられなかったけれど、今回は資金潤沢だから1000万円あげられるよ」「わあ、いつもありがとう」という関係においてだけ贈与と嘉納の関係は成り立つ。・・・

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矢内 友人の池田達也がやっている「しょぼい喫茶店」も、実はカイリュー木村という男が投資してできたんです。その原資は仮想通貨で300万円ぐらい儲かったから、100万円ぐらい投資しようか、みたいなお金(笑)。

 

内田 それは正しいですよ。あぶく銭は手に入ったらすぐにパッと配るといいことがある。悪銭身につかず。あぶく銭を退蔵したら罰が当たります。

 

矢内 分配していきたい、本当に。

 

内田 あまり知られていないことですけど、貨幣は予想外の使い方を喜ぶんです。これくらいのお金があったら、ふつうはこういうことに使うよね、というようなつまらないことに使うと、お金の流れは途絶してしまう。お金って退屈するんです。・・・だから、思いがけない使い方をすると、すぐに思いもかけないところから、思いがけないお金が入ってくる。

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 貨幣は使用価値ゼロの商品なんです。何かと交換する以外に何の使い道もない。・・・サッカーのボールと同じなんです。・・・ボールを抱えたままで、動かないプレイヤーがたまにいますけれど、そういうプレイヤーにはそのうち誰もパスしてくれなくなる。ボールが集まるのは、一番ファンタスティックなパスコースを見出せるプレイヤーのところです。・・・貨幣もそれとまったく同じなんです。