手術は成功したものの「見る」ことは視力だけの問題ではなかったということがわかる、私たちはこんな複雑な仕組みで世界を捉えているんだなと驚く話が続きました。
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ある日の夕方、メイとジェニファーはスーパーに買い物に出かけた。・・・メイは一人で店内を探検しはじめた。・・・棚に目をやると、すべての商品が全部で一つのカラフルなコラージュのように見えた。見慣れないものを見ると、隣り合った物体の境界が溶け合って見えることがよくあった。・・・棚の箱がぼやけて見えるわけではない。ところが、一つの箱がどこで終わり、どこから次の箱が始まっているかがわからない。みんなはいったいどうやって、それを見わけているんだ?・・・
自分の家やピーツ・コーヒーなど、いくつかのよく知っている場所では、こういう現象は起きなかった。すべてのカギを握るのは、文脈と予測。この二つの武器が使えるのと使えないのとでは大きな違いがあった。自宅のリビングルームのコーヒーテーブルの上に銀色の細長い長方形の物体があれば、テレビのリモコンだと自信をもって言えた。ところが同じリモコンがスーパーの棚や車のシートに置いてあると、二次元の意味不明の物体にしか見えない。問題は、自宅のコーヒーテーブルのように勝手知ったる場所よりはるかに、いまいるスーパーのような未知の場所のほうが多いことだった。
そういう場所では、ものを見るために別の方法を活用しなければならない。その場で収集できる手がかりをヒントにすることにしていた。その手がかりとは、手触り、色、文脈と予測、触覚以外の感覚である。・・・
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コーヒーの香りは、店内の三つ離れた通路からでもわかった。スパゲッティの入った箱を揺すったときの音は、聞きまちがえようがない。これでもだめな場合は最後の手段だ。商品を顔のすぐそばまで近づけて、ラベルを読むことを試みる。ただし、文字を読み取るには一分かそれ以上かかることもあったし、解読できずじまいの場合もあった。
このような認識の重労働がメイの行くところにことごとくついて回った。目で見て瞬時にわかるものはほとんどなかった。四六時中、視覚を助ける手がかりを探していた。