イリュージョン

錯覚する脳: 「おいしい」も「痛い」も幻想だった (ちくま文庫)

 聴覚も不思議でしたが、視覚も不思議・・・五感て、ほんとにイリュージョンです。

 

P128

 まず、視覚として感じる色や明るさという物理量は、世の中にはもともと存在しない。

 光というのは、誰もがご存知のように、波長が四〇〇ナノメートルから八〇〇ナノメートルまでの電磁波だ。・・・そして、明るさとは、電磁波の強度のことに他ならない。

 ・・・地球上にあふれている電磁波が物体表面で反射した様子を知覚できるようにした器官が目だというわけだ。

 ・・・

 ・・・物理世界には光のクオリアなどというものはなく、ただ電磁波が行き交っているに過ぎない。

 それを、視覚受容器が受け取って、明度と彩度という情報を作り出し、そのパターンを視覚情報として脳が作り出すから、その結果として、やっと、私たちは色や明るさを見ることができるに過ぎない。

 これは、考えてみると、触覚や聴覚と同様、衝撃的だ。

 なんと、目の前には本当は明るさも色もないのに、脳は、目の前の明るい空間のイメージを、かくもリアルに作り出しているのだ。音のクオリアが音源にあるかのように巧妙に作り出されていたのと同様、いや、それ以上にリアルに、様々な目前の物体のクオリアが、あたかもそれぞれがその場所でその色とその陰影を持っているかのように、鮮やかに、まさに鮮やかに、作り出されているのだ。なんて豊かな視覚のクオリアであることだろう。

 ・・・

 しかも、クリアで三次元だ。視覚野は脳の中の多くの面積を占めているだけあって、視覚が作り出すイリュージョンは鮮明でリアリティーに富む。

 そして、脳が作ったクオリアは、ものすごい広さを持つ。触覚の及ぶ範囲はわずか数メートル、聴覚はせいぜい数百メートルだったが、視覚がカバーする範囲ははるかに広い。地平線を見るときには数キロ、星を見るときにいたっては、百億光年先まで、イリュージョンはカバーする。生物が視覚を獲得して以来、生物の身体の範囲はこんなにまで拡大したととらえることもできるのだ。

 しかも、私たちは、「色」という奇妙なものまで感じる。そもそも、「赤」のクオリアなど、「痛み」や「甘さ」と同様、宇宙のどこにも存在しない。なのに、脳は、波長七〇〇ナノメートル付近の電磁波を、赤い色にペイントして私たちの脳の中のものすごく巨大なキャンバスに描き出す。

 この衝撃を、読者の方々にもご理解いただけただろうか。

 私たちは普通にものを見ていると思っているが、そうではない。色や明るさは目と脳が作り出したものであり、本来世界には存在しない。だから、目の前にこんなに鮮やかで巨大な空間が存在しているように見えているということは、ものすごいイリュージョンなのだとしか言いようがないのだ。

 ・・・

 私は子どものころ、犬がカラーを知覚できない、モノクロの世界に生きている、と聞いて、なんて不自由な生物なんだろう、と思っていたことを覚えている。私達がふつうに感じているこの鮮やかな色彩を感じられないとは、なんという目の機能の欠如なのだろう、と思っていた。今になって考えてみると、それは人間中心的な発想だったのであって、色彩のクオリアの感じ方の違いは、欠陥ではなく機能の違いに過ぎない。

 たまたま人間は、分光感度の異なる三種類の光受容器(錐体)を持っていて、それぞれが検出した異なる波長の電磁波を、対応した色のクオリアというイリュージョンに置き換えるという独特の能力を持っているから、色を感じられるに過ぎない。そういうルールが脳に書かれていなければ、もともと宇宙に存在しない「色」などというものを感じられないことは、別に何も不自然ではない。

 むしろ、犬の方が自然だ。電磁波が強ければ明るく、弱ければ暗く感じるだけなのだから、わかりやすい。特定の波長の電磁波を、色という勝手なものに置き換える人間の視覚の方が奇妙だ。

 

P141

 触覚、味覚、嗅覚、聴覚、視覚について、順に見てきた。その結果、痛みも、甘さも、匂いも、音も、色も、そしてそれらの心地よさや美しさも、自然界には存在せず、脳が作り出したイリュージョンであることを述べてきた。

 五感がみな、環境認識のための道具ではなく、環境を理解するために脳が作り出した創造物だとしたら、では、世の中には何が存在するのだろうか。何も存在しないのだろうか。

 色も音もないとしても、少なくとも物とエネルギーは存在していそうだ。・・・

 ・・・

 物とエネルギーだけは存在するといったが、五感なしには、物とエネルギーの概念を定義することも理解することもできない。したがって、物とかエネルギーという名前を付けることもできない、物とかエネルギーとは呼べない、なんでもない何かしか存在しないということになる。

 感覚がなければ、宇宙など、ないも同然だ。もちろん、名前の付けようもない「それ」は存在しているのだが、もはや存在しないのと大差ない。