手術前の不安

 緊急事態宣言が出て、いつもと違う生活になりましたが、医療関係者の方々がかなり疲弊しているという話を聞くと、せめてこれ以上負担を増やさないように、おとなしく引きこもり気味に過ごそうと思います。

 お散歩して運動して、健康維持に努めます(^^)あとは宇宙とつながって祈ることも。

 ではでは、またこの本のつづきを・・・

 

46年目の光―視力を取り戻した男の奇跡の人生

 視力回復のための手術を受けるかどうか、とりあえず手術の予約を入れたものの、予定日までまだ日にちがあり、決めかねているときに考えたこと。手術の成功率は半々と言われていたり、リスクが高いこともありましたが、こんな不安要素があったとは。言われてみればなるほどですが、驚きました。

 

P176

 ・・・そのリスクとは、メイのアイデンティティーに関わるものだった。

 これまで何十年も、目が見えないことはかっこいいと思って生きてきた。目が見えなくても人生にちっとも不足はない、道はかならず開けるのだと信じて生きてきた。そういう考え方は、生きる指針という以上の意味をもっていた。こうした発想を通してメイは自分という人間を理解してきたのであり、それはいわばマイク・メイをマイク・メイたらしめているものにほかならなかった。それなのに、視力を取り戻せるかもしれないと医者に言われたとたんに、数々の重大なリスクもかえりみずに視力を欲しがれば、いままでの人生哲学はどこへ行ってしまうのか。目が見えないことをかっこいいと思っていたのが単なる強がりだったということになりはしないか。視力の重要性について、自分という人間について、これまで自分を欺いていたことにならないか。考えるだけでぞっとした。人間の真価を決めるのは、本人が自分をどういう人間だと思うかではなく、いざというときに実際にどう振る舞うかだと、メイは長年信じてきた。自分の真価がいま問われているのだと思うと、息が詰まりそうになった。

 最近、自分のアイデンティティーについて考えるようになった。視覚障害者という立場を失えば、これまでやってきた「特別なこと」が「あたりまえ」と思われるようになるかもしれない。・・・視覚は素晴らしいものだとさんざん聞かされてきたが、視力があるということは、ありきたりの人間だということでもある。自分はありきたりの人間になりたいわけではないと、メイは思った。いまの自分は、目が見えないがゆえに注がれる称賛や注目を楽しみ、それを生きがいにすらしている面もあるのかもしれない。そう考えると、誰も注目してくれなくなるとわかっていて、好き好んで目が見えるようになりたいと望む人間などどこにいるだろうかと、メイは思った。

 それに、視覚障害者のコミュニティーでどう思われるだろう。・・・視力を手に入れようとするのは、その仲間たちと決別するに等しいように感じた。・・・みんなに絶縁されたりしないのかという不安も頭に浮かんだ。・・・目が見えていた人が見えなくなった場合にサポートする機関はあるが、その逆の経験をした人をサポートする機関はない。そんな人はこれまでいなかったからだ。

 視覚障害者コミュニティーから締め出されないとしても、自分が自分でなくなってしまうのではないかという不安があった。・・・目が見えるようになれば自分が変わることは予測がついた。だが、どう変わるかは見当がつかなかった。・・・その変化が自分をどこに導くのか、メイは想像もできなかった。

 ・・・

「どっちにせよ、いいかげんもう決断しないといけない。関連するすべての要素を洗い出して、二つの箱に仕わけしてみたんだ。プラスの要素の箱とマイナスの要素の箱にね。本当にびっくりしたよ。マイナスの箱は、中身が外にこぼれ出しそうになっている。副作用のリスクもあるし、手術がうまくいかない可能性も五〇パーセントある。・・・プラスの箱に目を移すと、そこには一つの要素しか入っていない。ぽつんと一つだけ入っているものがある。その唯一の要素とは、おれの好奇心だ。視覚とはどういうものなのかを知るチャンス、と言い換えてもいい。どの角度から考えても、このたった一つの要素には、やめておくべきだという山ほどの理由のすべてを上回る重みがあると思うんだ」