主導権は誰にある?

あなたの脳のはなし 神経科学者が解き明かす意識の謎 (早川書房)

 脳も、人間も、不思議だなあと・・・

 

P104

 あなたと私が一緒にコーヒーショップにすわっているとしよう。おしゃべりをしながら、あなたは私がコーヒーをすするためにカップを持ち上げることに気づく。その行動はごく当たり前なので、私がシャツにコーヒーをこぼしでもしないかぎり、ふつうは気にとめられることもない。しかし、認めるべき功績は認めよう。カップを口に運ぶのは至難の業なのだ。ロボット工学の分野ではいまだに、この種の仕事をスムーズに実行させることに悪戦苦闘している。なぜ?この単純な行動は、脳によって綿密にまとめ上げられている何兆もの電気インパルスに支えられているからだ。

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 イアンは一九歳のとき、胃腸に来る流感が重症化したせいで、まれなタイプの神経障害に見舞われた。触覚だけでなく、(固有受容覚と呼ばれる)自分の手足の位置について脳に伝える感覚神経も失ったのだ。その結果、イアンは無意識に体を動かすことがまったくできない。筋肉はどこも悪くないにもかかわらず、これから一生、車いす生活を強いられることになる、と医師から告げられた。人は自分の体がどこにあるかわからなくては、どうしても動きまわれない。あらためて意識することはめったにないが、私たちは世界と自分の筋肉から受け取るフィードバックのおかげで、一日中刻一刻、複雑な動きをすることができるのだ。

 しかしイアンは、病気のせいで動けない人生を送るつもりはなかった。だから立ち上がって前進したが、目覚めて生活しているあいだずっと、自分の体の動きすべてを意識的に考えなくてはならない。自分の手足がどこにあるか自覚がないので、体を動かすには集中して意識的に決意しなくてはならない。視覚系を使って手足の位置を監視する。歩くときは、できるだけよく足が見えるように頭を前に傾ける。バランスを保つために、必ず腕を後ろに伸ばすようにする。足が床に触れるのを感じられないので、一歩の正確な距離を予想し、倒れないように踏ん張りながら足を床に下ろす。一歩一歩が意識によって計算され、調整されている。

 自動的に歩く能力を失ったイアンは、ほとんどの人が当たり前と思っている、ぶらぶら歩くときの奇跡的な筋肉の協調を、はっきり認識している。周囲の人はみな、とても滑らかに切れ目なく動きまわっているので、そのプロセスを制御している驚くべきシステムにまったく気づいていない、と彼は指摘する。

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 ・・・人間の体の美しさだけでなく、それを見事にまとめ上げている無意識の脳の力にも、あらためて驚嘆してほしい。ごく基本的な動きでも精緻な細かい部分は、人の目に見えないほど小さい空間で行われている、人には理解できないほど複雑な何兆もの計算によって実現している。人間の脳力に近い性能をもつロボットは、まだできていない。そしてスーパーコンピューターは膨大な光熱費を食うが、私たちの脳は六〇ワットの電球ほどのエネルギーで、計り知れないほど効率よく、やるべきことをなし遂げる。

 

P138

 ありがたいことに、脳が計り知れないほど複雑であるということは、現実には予測可能なことは何ひとつないことを意味する。底に何列もピンポン球を敷いた水槽があるとしよう。球の一つひとつが、仕掛けられたバネ式ネズミ捕りの上で、微妙にバランスを取っている。上からもう一つピンポン球を落として、それが着地する場所を数学的に予測するのは比較的簡単なはずだ。しかし、その球がそこに当たったとたん、予測不能な連鎖反応が起こる。ほかの球がそれぞれのネズミ捕りからはね上げられることになり、それがまた別の球の引き金になり、すぐに状況の複雑さが爆発的に増す。最初の予測のエラーはどんなに小さくても、球が衝突して側面に跳ね返り、ほかの球の上に着地するうちに、どんどん拡大されていく。すぐに、球のある場所についての予測は、まったく不可能になる。

 私たちの脳はこのピンポン球の水槽のようなものだが、もっとはるかに複雑である。水槽には二、三〇〇個のピンポン球を収めることができるかもしれないが、あなたの頭蓋骨には水槽の何兆倍という相互作用が収められていて、あなたが生きているあいだずっと、刻一刻と弾み続ける。このような計り知れないエネルギーのやり取りから、あなたの思考、感情、そして決断が生まれる。

 しかも、これは予測不能なことの序の口だ。個々の脳は、ほかの脳がひしめく世界に埋め込まれている。夕食の食卓を囲む空間で、または講堂の隅から隅までで、あるいはインターネットのおよぶ全範囲で、地球上の人間のニューロンすべてが互いに影響をおよぼし、想像もつかないほど複雑なシステムをつくり出している。ということは、たとえニューロンが単純な物理法則にしたがっていても、実際には、個々人が次に何をするか正確に予測することは、つねに不可能なのだ。

 この途方もない複雑さから、ひとつの単純な事実だけは理解できる。すなわち、私たちの人生の舵を取っているのは、私たちが意識することもコントロールすることもできない力である。